平家の打倒を念じつづけて
源義経の伝説は、その多くが『義経記』に由来する。ひきつづき、この読み物によりそって、義経の物語を追いかけたい。
自分の使命は、平家をたおすことにある。鞍馬寺にあずけられた牛若は、そう考えだした。東光坊の阿闍梨は、これをいさめようとする。寺の面々ともはかり、牛若の剃髪をいそがせようとした。
だが、牛若はうけつけない。僧侶にはなりたくないと言う。見かねて、覚日坊の律師は、やはり鞍馬寺の住職だが、助け船をだす。牛若は自分があずかろう。自分の庵は、はずれにある。人もあまりこない。のぼせた頭をひやすには、うってつけの場所である。そう寺僧たちにもつげて、牛若をひきとった。
覚日坊のもとで、牛若は遮那王(しゃなおう)と名前をかえている。しかし、いちどめざめた少年の野望は、なくならない。あいかわらず、平家の打倒を念じつづけることになる。
そんな遮那王を鞍馬で見かけて、吉次信高は、京都の商人だが、おどろいた。なんて美しい稚児なんだ。どなたのお子様だろう、と。「あら美しの御児(おんちご)や。如何(いか)なる人の君達やらん」(岩波文庫 1939年)。『義経記』には、吉次の感銘ぶりが、そうしるされている。
この吉次に、遮那王は身の上をつげた。自分は源義朝の子である、と。
聞かされ、吉次は考えをめぐらせた。以前より、奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)から、たのまれている。源氏の嫡流となる子弟の、知遇をえたい。いい人材がいれば紹介してくれ、と。そして、遮那王は源氏の直系であるという。ちょうどいい。この子を秀衡にあわせようと、もくろみだす。
奥州藤原氏のもとへ、いっしょにいかないか。そう吉次からさそわれ、遮那王はとびついた。彼らとの連携が、平家打倒への第一歩になるかもしれないと、考えたせいである。