私どもでは財布は二つ、心も二つ

経歴も変わっている。慶應義塾を卒業後、広告会社に勤務。初めて書いた小説が「新潮新人賞」次点となる。それだけが原因ではないのだが、普通の会社員の道を外れて、料理人生活を九年送った。この間に芥川賞候補。再び会社勤めの身分となり、初めての小説集『鹽壺の匙』で三島賞受賞。このときまで小説家車谷長吉の名を知る人は少なかった。

その直後に結婚した。

直木賞受賞(編集部註・『赤目四十八瀧心中未遂』で第119回直木賞)は連れ合いの悲願だったが、友人たちに「おめでとう」と言われると、「ありがとうございます」という言葉が自然に私の口から出た。

私は以前、ある賞を受賞した詩人の夫人にお祝いを申し述べたところ、「それは夫のほうで私とは関係ありません」と言われて「すみません」と引き下がったことがあった。私より十歳は年長の人である。当時独身だった私は、自立した妻というのはこうであるのか、と驚いたのであった。詩が、彼ら夫婦の共通の話題ではなかったのかもしれない、といまは思う。

私どもは二人とも文学に携わる者なので、多かれ少なかれ文学的同志になっているのだろう。私は連れ合いには健康第一とだけ言って、仕事をするようにとは決して言わない。言えば苦しめてしまう。連れ合いのほうは私に、やれやれとハッパをかける。

私小説作家・尾崎一雄の奥さんは近所の噂話を収集して、それを細大漏らさず作家に伝えた、だからあなたも協力すべきだ、と連れ合いが小説家の妻の心得を言う。扶養家族だったら、よろこんで、あるいは心ならずも作家の耳にも目にも足にもなっただろう。

しかしながら私どもでは、財布は二つ、心も二つである。とんでもない、人に知られて当人が困るようなことは、私は口外しません、と宣言した。