二人が仲良しである限り、結婚はいい制度である

このように共同生活者としては、並外れた問題児を選んでしまったのだが、けっこう仲良くやっているのである。

結婚の動機としては、50歳を前にして、一度くらい結婚してみるか、という気持が双方にあった。私の母親などは、一度も結婚しないのは世間体が悪い、それよりなにより、さみしそうに見える、何かあったら、と思うと心配で、死んでも死にきれないと、帰省するたびにまくしたてた。それなら相手が誰でも反対はしないわね、と私はクギをさした。

二人が仲良しである限りは、結婚はいい制度だと思う。

どこかに散歩に出かけたいとき、わざわざ電話をかけなくても、いっしょに行ってくれそうな人が側にいて、私はその人と外出する優先権をもっている、その人とは日曜日にも、夏休みにも、年末年始にも逢える。毎晩必ずといっていいくらい逢える。晩酌も付き合う。

仲良しである限り、結婚はいい制度だ(写真提供:写真AC)

そんな男友達なんて、ふつういない。独り者であっても、私がそうだったように、郷里や係累とつながれている。紙一枚届け出ただけで、こんなふうに許されていていいのだろうか、と当初は不思議な気持がしたものだ。

親元を離れてから、一人暮らしの生活が30年と長く続いたので、それまで家の中の物が様相を変えるのは、鉢植えの植物くらいしかなかった。それが、たとえば台所に置かれた菓子の数が減っていたり、冷蔵庫の中のアイスクリームがなくなっていたりするのを発見すると、いっしょに暮らしている人がいるんだ、と温かい、というのは寂しさの裏の意味だが、そんな気持になった。本人の顔を見ているときよりも、そういうときに結婚のありがたさを知った。なにしろ注文の多い男で、顔を合わせるや否や、気をつかわせられるのである。