「小説を書くことは悪だ、おれは毒虫だ」

そんなわけで、私はうちの私小説作家に友人知人のスキャンダルは黙して語らない。スキャンダルは面白いので、しゃべってびっくりさせたいのだが、こらえている。

夫婦として、文学的同志として(写真提供:写真AC)

だが連れ合いは聞き出し上手でもあって、ついその手にのってしまうことがある。すると、彼の興味をひくような事件だと、いつか活字になる。そっくりそのままではなく、少し事実をずらして書く。だがそれに信憑性を与えるために、実名を記す。書かれた当人は周章狼狽する。

作り物だと一方で承知してはいても、噂が人を殺すこともあるのだから、恐ろしい。残酷な子供のようなところがある。「語りは騙りなんだ」と澄ましている。

雑誌でアートフラワーの作り方というのを見たことがある。できるだけ真物らしく見せるコツは――、とその記事には書かれていた、どこかに真物をつかうこと、たとえば、花の終わった蘭の鉢に、造花の蘭の花を挿します、と。これは文学でも同じこと。

小説を書くことは悪だ、おれは毒虫だ、と車谷はつねづね言っている。

このごろ「夫婦は一心同体だ、車谷の悪意は、順子の悪意だ」と難じている詩人がいるそうだ。私どもは危うい夫婦だったはずなのだが――。せめて夫婦は共犯者だ、くらいの表現にしてもらいたい。

車谷がこのたびの受賞を知らされたときに、「男子の本懐を遂げました」と言っているのを聞いて、古い言葉が出たことに驚いたが、それに触発されたのか、「内助の功」を褒めてくれた人が数人いて、戸惑った。いずれも男性を中心に置く考え方から出た言葉であろう。