小説家と暮らすのは気骨が折れるが、面白い
結婚して大変だァと思うことは、やはり食事の支度である。一人で営んでいる書肆の仕事、非常勤講師として週に一日出ている大学の講義の準備、原稿書きなどの仕事を中断せねばならないのは、やはりつらい。独身時代は空腹になるときまで、食事のことを考えなくてよかった。それがいまは朝から本日のおかずを考えているのである。
迷って相談すると、手のかかる料理を言うので、時間のあるときしか相談しなくなった。結婚前は、一汁一菜でいい、などと言っていたのが、いまはおかず三品でなければ承知しない。それでも世の中には最低五品という亭主もいるそうだから、愚痴はこぼすまい。
連れ合いは毎日出勤していたのだが、ある時から会社都合で週に2日行くだけ、あとは居職の身となった。そうと決まったときから、毎食の後片付けと、日曜の晩の料理当番を引き受けてくれることになった。日曜日になると、「今日は月曜日だな」「お出かけの予定はないの」などと逃げる算段である。
しかし几帳面なたちで、逃げない。食事の時間が規則的になり、野菜もつとめて食卓に上すようになったので、おかげで私は風邪をひいても寝込むことがなく、健康になった。
私は結婚前、連れ合いになる男に、子供はほしくないのかと確かめた。男は出家するつもりだった、と答えた。子供のいない貧乏な夫婦にとって、しかも許される範囲は互いに別姓で通している者たちにとって、結婚という制度は、なにほどのことでもなさそうに見えるが、いまのところこの契約は、きっかり身の丈ほどの責任感とちょっと窮屈な安心感をともなうものとして機能している。
いつかは骨になる私たちだが、連れ合いには、毎日、快便だとか、丼に2杯分出たとか、便秘だの、下痢だの、短いのが3本だとか、紙をケチってウンコが手にくっついた、とか、しないでもいい報告を事細かにされている。私のことを、ウンコちゃんと呼ぶことがある。
返事はしてやらない。「今日は6回便所へ行ったな」などと私の行動を観察している。小説家と暮らすのは気骨が折れるが、面白い。
※本稿は、車谷長吉『漂流物・武蔵丸』(中公文庫)に収録したエッセイの一部を再編集したものです。
『漂流物・武蔵丸』(著:車谷長吉/中公文庫)
鬼気迫る母親の一人語り「抜髪」、平林たい子賞、川端康成賞受賞の表題作二篇ほか、私小説家の真髄を示す佳篇を精選。さらに講演「私の小説論」と随筆一篇を併録した直木賞作家の文庫オリジナル選集。