頭の天っ辺から足の先まで観音様に守られている
昭和61年8月、父はかねてからのあこがれの地、楼蘭へ行けることになって、その準備に楽しそうであった。ところが、出発の直前になって、中国側の都合で急に行けなくなり、父はとてもがっかりしていた。
「楼蘭王国の跡地に自分の足で一度立って、最後に一行書き加えたい」というのが父の永年の願いであった。小説『楼蘭』はその地に行かないで書いたものである。
しかし、運の強い父にとって、これが思いがけず幸いすることになった。「頭の天っ辺から足の先まで観音様に守られている」と易者に言われた程に、強運の持ち主なのである。旅行中止の直後、父が「物を食べると喉に食べ物がつかえる」と言った言葉を母は聞きのがさなかった。
「食道にガンが出来ていますよ」
父に付き添って、弟とがんセンターの長い廊下を黙って歩いた。この廊下は病院では「シベリア街道」と呼ばれており、午前中だというのにシンとしていた。
その日は検査の結果を、当時の院長の市川平三郎先生から伺う日だった。院長室には、後に手術の執刀をしてくださった飯塚先生と、他に二人の先生が座っていた。市川先生は、
「食道にガンが出来ていますよ」
と父の顔をじっと見つめながら、おだやかに言われた。今までぼんやりと思い浮かべていた場面とは違い、ガンの告知といっても意外にさらりとしたものだった。
市川先生は、ご自身が胃ガンの手術で入院された時のことなどを軽やかに話され、
「お酒とタバコ、特にタバコは今日からすぐにやめてください」
「タバコを飲んでいる人は手術後、タンが喉にからんでとても苦しいものですよ。僕もだいぶ苦しみました」とも言われた。
「部屋が空き次第お知らせします。入院してください」
すると父は、「部屋が空き次第入院するのですね。お酒もタバコもやめるのですね」とゆっくり自分に言い聞かせるように繰り返して言った。
私はこの時、「もう『孔子』は書けない」と咄嗟に思った。この10年間、孔子の話ばかり聞かされてきたのに……。