中央アジア ウズベキスタン・ブハラにて

「天命とは……」集中治療室での講義

9月29日、手術の日。朝早く、父と母と弟の三人は病院へ出掛けた。父は、「これから戦場に赴く気持だよ。助かるかも知れないし、助からないかも知れない」と言いながら、思ったより明るい表情であった。

「あまり深刻に物事を考えてはいけない。気持を楽に持ちなさい」とよく言っていたが、まわりの者の緊張に比べて、父は楽観的に見えた。

8時半、ストレッチャーに乗せられて手術室に運ばれて行く時、人に顔を見られるのがいやだったのか、何か顔に掛けてほしいと看護婦に頼んだので、私はハンドバッグからハンカチを急ぎ取り出して顔に掛けた。

5時間にも及ぶ手術が終わり、集中治療室へ運ばれた。あとで知ったことだが、なんと父は、麻酔からはっきりとさめないうちに集中治療室のベッドで、講義を始めたそうである。

「天命とは……。仁とは二人の間に成立する思いやり、例えば医者と患者……」
といった具合に。

「おもしろく聞きましたよ。ちゃんとしたものでしたよ」と先生から後で聞かされ、父は苦笑していた。

4日間集中治療室で過ごした後、個室に戻ったときの父はとても弱々しくうつろに見えた。中学生の頃からの数十年に及ぶ喫煙が災いして、市川先生の言われた通り、しばらくの間タンが喉にからんで苦しんだ。

元気になってくると父は、「紫の桐の花が咲いている小さな土家の集落で、昼も夜も過ごしたよ。なんともいえず快適だった」と集中治療室で眠っていた時のことを話してくれた。私には、『孔子』の取材で一緒に行った黄河の河岸のあの村だとすぐにわかった。桐の花が満開だったあの村で、父は生死をさまよっていた。

病気が発見された当初、私たちは病院の先生と相談して、外の人には「胃潰瘍で胃を切った」と言うことにした。健康を大いに誇りとしていた父の気持を思ったからである。家人は父のために固い約束の下に行動した。

父の性格を反映して、隠し事が嫌いで、何をするにもオープンな家族が、この時ばかりは悲壮な決意をしたのである。

退院してからの父は、全く無気力になっていた。今までの頼りがいのある父はどこへ行ってしまったのだろう。居間のストーブを背に、何をするでもなく一日座って日なたぼっこをしていた。しかし、こんな無気力な父を見たのはこの時期だけだ。