『利休の死ー戦国時代小説集』(著:井上靖/中公文庫)

ざっくばらんで、隠し事のできない父

退院後4カ月目にはペンクラブ主催の講演会をなんとかこなすと、これが社会復帰の第一歩となった。仕事関係の人や親しいお見舞客も次第に増え、夜遅くまで孔子の話に夢中になって時間を忘れることもしばしばだった。

そんなある日、お茶を出しに行った私は、飛び上がらんばかりに驚いた。

「まあ! お父さん」と叫んだ。

「背中からこう切って70針も縫ったのですよ」と客に手術跡を見せて自慢しているではないか。これが胃潰瘍の手術跡でないことはもはや誰にでもすぐにわかる。

日が経つにつれ、父はお見舞客に向かって、「食道を全部取ってしまってね。食道というところは食べ物が通過するだけの所らしいが、ないとやはり不便なこともある。苦いものが上がってくる」などと言いだした。食道ガンを隠していた家族にとって困った話である。気がついて見ると母までが、「主人は食道を取ってしまってね。一度に物が入らないのですよ。何回にも分けていただいているのです。まるで鳥みたいに」などと言っている。

ざっくばらんで、隠し事のできない父は、しばらくすると、食道ガンのことを新聞にまで書いてしまった。

子供達の気遣いは失敗に終わった。そのときはとても複雑な気持であったが、今思うととても父らしい。