長尾景春には「下剋上」という選択肢しかなかった
――関東では秩序が残っていたとのことなので、秩序を破壊する下剋上は心理的な障壁もあったはずです。その中にあって『叛鬼』の主人公・景春は下剋上を成し遂げるわけですが、景春はどのような人物だったのでしょうか。
本郷:まずは、見事な景春像を作り上げた伊東さんのお話をうかがいたいです。
伊東:誰が最初に下剋上をやったのかには諸説ありますが、その一人として必ず名が挙がるのは景春です。室町幕府の権威が弱まり、在地の国人衆の発言力が強くなったという時代背景があったのは事実ですが、景春には家柄への誇りとリーダーシップがあったのだと思います。
ですが上杉顕定は家宰職(編集部注:当主に代わって家政を取りしきる職責で、言わば大名家臣団のトップの地位)を影響力の強い景春に与えたくなかった。それで叔父の惣社長尾忠景に就かせたわけですが、景春は人一倍自負心も強かったので、この不当な人事に怒り、主君に弓を引いたのでしょうね。
法的には家宰職は世襲ではないので、顕定のやったことは一概に非難されるべきことではないのですが、景春には下剋上という選択しかなかった。いつの時代もそうですが、人を動かしているのは感情なのかもしれません。
本郷:その点で言うと、『叛鬼』の中で際立った対照を成しているのが、景春と太田道灌です。道灌は実力では景春に匹敵しますが、どれほど酷い目に遭っても主君の上杉家が大事で、「裏切るような奴は武士とは言えない」「自分はナンバー2でいい」という感覚が捨てられない。だから道灌は主君の定正に殺されますが、景春はしたたかに生き残っていきます。