武士は相手の命を奪って偉くなっていく

伊東:実は『叛鬼』で描くのが一番難しかったのが道灌でした。道灌は従来のイメージ通り正義を重んじる人で、関東の秩序を守るという信念を持っていたのは確かですが、超然とした人格者というわけではありません。『太田道灌状』を読むと、道灌は短気で頑固な人物だと分かります。

千葉氏を攻めた際には、主君の定正の制止を聞かずに戦い続けたことで、自身の弟や多数の重臣たちを失います。その後、道灌は暗殺されるわけですが、もし命を落とさなかったら道灌が下剋上をやっていた可能性も否定できないと思いました。

本郷:なるほど。最後の胸アツな展開は、道灌が景春に「お前が正しかった、俺もやるよ」という可能性が生み出していたんですね。

――気に入らなければ主君を殺しても、父親を倒してもいいという下剋上のメンタリティは、室町後期になって出てきたものなのでしょうか。

本郷:『吾妻鏡』で鎌倉武士の鑑のように書かれている畠山重忠が、謀反を疑われるのは武士の誉であると言ってますから、昔からあったと思いますよ。武士は相手の命を奪って偉くなっていく人たちなので、もの凄く冷めた部分があると思うんです。江戸時代の武士道は「君、君たらずとも、臣、臣たれ」ですが、中世の武士道は「君、君たらざれば、臣、臣たる必要なし」なので契約関係です。

ただ無能な主君なら殺してもよいという短絡的な話にはならないので、下剋上をした人は特殊かもしれません。下剋上でも親を殺した人は少なく、斎藤義龍と結果的に親殺しになった大友宗麟くらいです。義龍は父・道三を殺したことを悔やんでいて、斎藤姓を捨て一色を名乗ります。それくらい親殺しは、インパクトがあったんです。

後編に続く〉

※本稿は、『叛鬼』(中公文庫)に収録した特別対談を再編集したものです。


『叛鬼』(著:伊東潤/中公文庫)

逆徒、奸賊、叛鬼。悪名を轟かせる景春を中心に、やがて戦国乱世の扉が開いていく――。戦国前夜をダイナミックに描いた本格歴史小説!巻末に著者と本郷和人氏の対談を特別収録。