作家の伊東潤氏と本郷和人東京大学史料編纂所教授が対談!やるかやられるかだった関東の戦とは(写真:中央公論新社)
オリンピック開催で注目を浴びた東京。歴史をさかのぼれば、1457年に関東の武将・太田道灌が江戸城を築き、1603年に徳川家康が幕府を開いたことが今の繁栄につながる。その太田道灌と戦ったのが道灌の従兄弟で、謀反を起こした戦国の鬼・長尾景春だ。

このたび、景春の生涯を描いた小説『叛鬼』の著者で作家の伊東潤氏と本郷和人東京大学史料編纂所教授が対談。二人いわく京都を中心とした応仁の乱は家督や権益の奪い合いだったのに対し、景春らが主役を担った関東の戦いは「やるかやられるか」。そのため関東が畿内に先駆けて戦国時代に突入したのは必然だったそうで――。

上杉姓や長尾姓ばかりだった戦国時代前期の関東

――まず、『叛鬼』を執筆したきっかけを教えてください。

伊東:この作品を書いた十年ほど前まで、私はお城めぐりを趣味にしていました。お城めぐりといっても、いわゆる天守閣や石垣のある城ではなく、山城を主にしたマニアックなほうですね。その頃の参考文献は『日本城郭大系』や『日本城郭辞典』くらいしかなかったんですが、それらを読んでいると、長尾景春の名が頻繁に出てくるんです。

そこから景春に興味を持ち、『太田道灌状』が全文掲載されていた『荒川村誌』などを入手したりして、小説に書いてみようとなったわけです。入手しやすい上に読みやすい文献が豊富な今とは、隔世の感があります。

本郷:歴史を生業にしている人間が読むと、『叛鬼』は伊東作品の中でも特に素晴らしいです。伊東さんが大きな地図に城を描いて、それがどの勢力に属しているかをメモしている姿が目に浮かびます。

僕が大河ドラマ『平清盛』の時代考証を担当した時に、視聴者からどの登場人物も名前に「盛」の字があるので区別できない、というお叱りを受けました。長尾の一族も名前に「憲」や「景」が付いているのですが、伊東さんの手にかかると、こいつは日和見、こいつは誠実、と明確に書き分けられています。ですからキャラクターの性格を丁寧に作られたことが、よく分かります。

伊東:戦国時代前期の関東は上杉姓や長尾姓ばかりで、人名が頭に入りにくいのは確かです。だからこそ『叛鬼』では、しっかりとキャラクターを練り込みました。