封建的な儒教の教えと西洋の価値観の狭間で

「うちの家はちょっとハイカラな面もあるけれど、ひと昔前の封建的な儒教の教えを父は持ち出す。私には何がなんだか、価値観が一様ではない少女時代でした。父は古い旧家の長男として江戸時代の儒教の教えで育ち、時代は明治の西洋化、大正の民主主義化へと移り変わった。父自身がその狭間で引き裂かれていたのでしょうね。決定的にどっちということにはならない」

ハイカラなことを先んじる父・頼治郎のエピソードについては、彼女自身の著書にも記されています。日本に初めて自転車が輸入され、3台だけが神戸に着いたとき、10代だった父は、そのうちの一台をはるばる岐阜・芥見 (あくたみ。現在の岐阜市)の実家から買いに行きます。自転車を買った噂はまたたくまに広がり、自転車を見に来る人が絶えなかったそうです。

少女時代を過ごした家には、まだ一般に普及していなかった扇風機、オルガン、米国のシンガーミシンなどがいち早く取り揃えられ、彼女の友人らは扇風機に当たりに来たり、オルガンを弾きに来たりしていました。

しかし一方で、桃紅も含めた4人の姉妹に対する父の躾は孔子の儒教そのもの。「男女7歳にして席を同じうせず」と厳しく言い渡され、友人の家に遊びに出かけた後、帰宅時に友人の兄弟が送り届けることすら禁じられました。

「女学校時代の関西旅行、東北旅行の修学旅行にも出してもらったことがないですよ。『女の子が外に泊まるのはいけない』。ただそれだけの一点張りでした」