「僕は若い頃から仕事人間で、自分が子どもを持つのは、あまり現実的ではないと思っていた。人生にこんなことが起きるのかと、驚くやら、嬉しいやら」(撮影:藤澤靖子)
2021年4月27日、不妊治療を経て待望の第1子を授かった登坂淳一さん。妊娠に至るまでの戸惑いや不安、出産後の生活の変化などについて、夫婦で初めて語ります(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)

〈パパ学級〉を楽しみにしていたけれど

 分娩室で生まれてきた娘に初めて会った瞬間、幸福感が体中を駆け巡るような、なんとも言い表せない感覚で──。局アナ時代、喜びを表す表現としてよく「感無量です」と使っていましたが、比較にならないくらい。これこそが「感無量」だと。

 計画無痛分娩を選択していて陣痛促進剤を使ったのに、当日出産にいたらなくて。予定日から1日遅れたことで少し不安もあったので、無事に生まれてきてくれた時には自然と涙が流れたよね。こんなに泣けるのかと自分でびっくりしてしまった。

 誕生後は生活が一変して、すべて子ども中心に。僕は、赤ちゃんの子育てを実践的に教えてもらえる〈パパ学級〉を楽しみにしていたけれど、コロナで中止。インターネット動画で自習して、お風呂に入れたり、おむつを替えたりしているけれど、子育てというのはこんなに肉体を使う重労働なんだと実感しました。長時間抱っこするせいか、あちこち筋肉痛だし。(笑)

 夜も頻繁に泣いて大変だと聞いてはいたけれど、想像していたほどではなく──私たちの年齢に合わせてくれたのかな。私は40歳で出産したから。

 僕は、6月で50歳になったしね。僕は若い頃から仕事人間で、自分が子どもを持つのは、あまり現実的ではないと思っていた。人生にこんなことが起きるのかと、驚くやら、嬉しいやら。自分より大事だと思える存在ができて、父親としての自覚が生まれた気がする。

 出会った時は、まさか結婚して子どもを持つことになるとは、想像もしていなかった。

 最初に会ったのはNHK札幌放送局にいた頃だから、かれこれ11年前。大通公園のビアガーデンが始まる日に何人か取材したなかの一人だった。名刺交換をして、実際に映像を使うことになったのでその旨を連絡して──。

 あなたは報道番組でのイメージ通りクールな感じで、世間で「麿」というあだ名で呼ばれていたし、たしかに青い血が流れてそうだなぁ、という第一印象でした。(笑)