「眉目もいつくしい者、笛も上手」

ねんのため、義経、牛若をとりあげたいくつかの室町芸能を見ておこう。とくに、幸若舞のほうは、ていねいに検討しておきたい。

幸若舞は室町時代のおわりごろから、武士のあいだで流行した。たとえば、織田信長が桶狭間で合戦へのぞむ前に、『敦盛』を舞ったという(1560年)。「人間五十年……」というくだりを、家来の前で披露したらしい。戦国史のひいき筋なら、誰もが知る名場面である。

16歳で熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた平敦盛(たいらのあつもり)をモデルにした能面。 「能面/十六」「天下一河内」焼印 江戸時代・17世紀
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あの『敦盛』も、幸若舞のひとつにほかならない。

話をもとへもどす。幸若舞に『未来記』という演目がある。鞍馬山の奥で、天狗が牛若へその未来をつたえるという筋立てになっている。いずれ義経と名のるだろう相手へ、天狗はこんな予言を聞かせていた。

「金容を現し、箕裘(ききゅう)の家を継ぐべきなり」(『新日本古典文学大系 59』 1994年)。あなたは、神々しいまでに美しい顔立ちをあらわし、父の遺業をつぐはずだ、と。

『烏帽子折』という曲も、牛若の美貌を特筆した。たとえば、吉次という金商人に牛若との同伴を、こうためらわせている。「御身がやうになまめひたる若き人を、徒歩にし路次を連れむずるが大事」(同前)。あなたのような若々しく、品もある人をつれ歩くのは問題だ、と。

また、牛若の笛を聴いた浜千鳥の局にも、語らせていた。牛若は「眉目もいつくしい者、笛も上手」だ、と(同前)。笛も容姿も、すばらしかったという説明に、彼女のせりふはなっている。

江戸後期の浮世絵師・鳥居清長が描いた、笛を吹く牛若と浄瑠璃姫 ‘Ushiwaka serenading Jururihimi, daughter of Kiichi Hogen. Lef-hand sheet of a triptych’ by Torii Kiyonaga.
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