出っ歯の猿眼、さらに赤髭
しかし、すべての幸若舞が、義経を美しい人だとしていたわけではない。『未来記』や『鳥帽子折』は、その美貌をみとめていた。だが、それとは逆の義経像をあらわす曲目もある。たとえば、『富樫(とがし)』や『笈捜(おいさがし)』に登場する義経は、けっして美しくない。むしろ、みにくくえがかれている。
どちらも、義経の逃避行をテーマとする作品である。舞台の義経は、北陸へにげるおたずね者になっていた。『富樫』は、追手側のしるした人相書を、山道の童児にしゃべらせている。
「向歯反(むかふばそ)つて、猿眼(さるまなこ)、小鬢(こびん)の髪の縮むで……」、と(同前)。
『平家物語』と同じで、出っ歯を強調している。猿眼は、猿のように目がくぼんでいる状態をさす。現代語の奥目にあたる言葉である。あるいは、赤く血走った目を猿眼とよぶこともあった。どちらにしろ、いい意味ではない。義経は、出っ歯の奥目、あるいは赤目と、容姿を見くびられている。おまけに、ちぢれ毛とも言われていた。
『笈捜』で、義経らは越後の浜辺に宿をとっている。宿の主人である直江太郎は、一行のひとりを義経かと、うたがった。ここに、太郎が義経へ言いはなった文句をひいておく。
「判官殿と申は……向歯そって猿眼、赤髭にましますと承り候が……御坊の形相、ちつとも違ひ申さず。判官殿にをゐては、疑う所なし。早ゝ御出候へ。鎌倉へ御供申さむ」(同前)
義経のことは、出っ歯の猿眼、さらに赤髭だと聞いている。そう当人の前で、宿の主人はつげていた。『富樫』のしるす「髪の縮」みが、「赤髭」となっている点に、両者のちがいはある。しかし、容貌をむごくえがいているところは、かわらない。
おまけに、主人は義経の前で言いきった。出っ歯、猿眼、赤髭という伝聞が、自分にはとどいている。そして、その風評とあなたは、「ちつとも違」わない。あなたこそ、義経であろう、と。
けっきょく、義経はこういう追及からのがれきる。あれこれ言いつくろい、自分は義経じゃあないと、その場をとりつくろう。『笈捜』の演劇的な見所も、おいつめる側とかわす側のそんなやりとりにある。
だが、容貌論に主眼をおく私は、そこをほりさげない。とにかく、『笈捜』は義経当人を醜男(ぶおとこ)だとした上で、話をすすめている。出っ歯や猿眼などといった特徴を、手配書や風説だけの伝聞情報にはしていない。このひどい指摘は、目前の当人じしんにもあてはまる。そう主人のせりふで、書ききった点を、重視する。