出っ歯説にくみしたのも、脱走の場面だけ

三田村鳶魚は言う、義経を美しい武将にしたてたのは幸若舞である。舞で義経を演じる美少年たちが、よってたかって彼を美しくかがやかせていった。ついには、国民的な義経像もかえている、と。だが、幸若舞にも、義経をぶさいくな男として登場させる演目はある。鳶魚の指摘には、その点でひっかかる。

もっとも、出っ歯の義経がでてくるのは、奥州へむかう脱出劇の部分にかぎられる。元服前後までの若い義経、牛若を登場させる幸若舞は、彼の美化につくしていた。そう言えば、『義経記』が出っ歯説にくみしたのも、脱走の場面だけである。少年時代の牛若については、ひたすら美貌ぶりを強調した。

幸若舞が美少年たちへ、義経の全生涯にわたる役柄をあてがったわけではないだろう。美童たちへゆだねた配役は、元服するころまでの義経にかぎられた。弁慶とであうあたりまでの義経役は、もっぱら彼らにまかされたのだと思う。

鳶魚の指摘は、だから若いころの義経像についてなら、あてはまりうる。少年義経に関するかぎり、彼の言うようなことがあった可能性は高い。ただ、義経を美化する幸若舞のからくりは、晩年の彼をおきざりにした。『平家物語』の出っ歯説が、脱走譚のほうへまわされたのも、そのためではないか。

月岡芳年が描いた、源義経と静御前の別離
‘Yoshino ni Shikuza hangan betsuri ga’ by Tsukioka Yoshitoshi.
Image via Rijksmuseum Amsterdam

義経が奥州をめざし、北陸へにげたのは1186年末から翌年はじめのころである。1159年生まれの義経は、三十歳近くになっていた。平安末期なら、いや室町後期でも、りっぱな中年である。もう、少年美がうんぬんされるような年ではない。その役柄が、幸若舞のスター的な美童へまわってくることは、なかったろう。

『義経記』も少年時代の義経だけを、美しくあらわした。奥州へにげようとする義経には、出っ歯という面貌をあてはめている。若い義経と三十手前の義経には、ルックスの一貫性がない。前にものべたが、編集上のふてぎわはあったのだと思う

しかし、『義経記』の書き手にも、幸若舞の演出家と同じ想いはあったろう。ヒーローである義経の牛若時代は、なんとしても美貌の少年としてえがきたい。だが、大人となり中年をむかえたころの義経にたいしては、その意欲がわかなかった。

この差も、三十歳をむかえる義経と、十歳台なかばの牛若に関する表現をわけただろう。編集上の失敗は、そんな事情もあって生じたのではないか。幸若舞の『鳥帽子折』と『笈捜』は、義経の容貌描写で分断されている。そのあいだに横たわる溝は、『義経記』の前半と後半をもへだてたと考える。

時代は新しくなるが、あえて書く。多くの日本人は二宮金次郎を、かわいい少年であったと想いやすい。絵本やブロンズの金次郎像も、たいてい愛らしく表現されている。しかし、大人の二宮尊徳に美しくあってほしいというねがいは、いだかない。牛若、義経をめぐっても、想像力が同じように分散して作動したのではないか。

さて、能である。能にも義経をとりあげた作品は、たくさんある。『橋弁慶』をはじめ、美少年としての牛若像をおしだす演目も、少なくない。増田正造も言うとおり、能の義経像もイメージの美化には貢献しただろう。

また、能には出っ歯や猿眼の義経を前面へおしだす曲が、見あたらない。こちらは、中年の義経もふくめ、悪くはえがいてこなかったようである。

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