『素敵なダイナマイトスキャンダル』(末井昭・著)

初めての本『素敵なダイナマイトスキャンダル』

セルフ出版を立ち上げてからは、会社勤めになりました。マンションの一室が編集部で、隣の机にはビニ本を作っている人たちがいました。みんな変わった連中で、人見知りの激しい自分にしてはわりと早く溶け込めました。

ぼくがセルフ出版の設立に参加したのは27歳の時で、『New Self』を編集する傍ら、奥成達さんに編集をお願いして月刊誌『小説マガジン』を創刊し、『New Self』が発禁になったので、月刊誌『ウイークエンドスーパー』を創刊しました。

80年代に入って社名が白夜書房に変わり、『映画少年』やら『写真時代』やら『MABO』やら『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を立ち上げました。失敗した雑誌もあるし成功した雑誌もあります。以後、2012年まで白夜書房に勤めることになります。

初めて自分の本を出したのは、『写真時代』を創刊してから1年ほど経った1982年で、『素敵なダイナマイトスキャンダル』という本でした。

ぼくが夢中になって読んだ橋本治さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を編集した、北宋社の高橋丁未子さん(現・作家)から「本を書きませんか?」と言われました。もちろん「書きます」と言ったのですが、それまで文章を書いたのは編集後記ぐらいだったので、果たして書けるかどうか自信がありませんでした。

仕事の合間では書けないと思い、お茶の水のホテルをキープして、昼間は会社の仕事をし、夜はホテルで原稿を書くということを1週間続けたら、なんとか3分の2ぐらいは書けました。あとは編集後記とか自分の日記を入れて1冊の分量にしました。

出だしは母親のダイナマイト心中のことを書きました。母親のダイナマイト心中のことは、近松さんに話して以来なかなか人に話せなかったのですが、飲み屋でたまたまクマさんこと篠原勝之さん(芸術家・陶芸家)に話したらすごくウケたので、そのことも入れて書いたらスラスラ書けました。

本のタイトルは高橋さんがつけてくれました(「素敵な」というところが今もって恥ずかしいのですが)。それからちょこちょこ文章の依頼がくるようになって、著書も何冊か出ました。