エロ雑誌を見よう見まねで作った
出版の仕事は、最初のうちは力んで「情念のイラストを描いてやるぞ」と思って、エロ本にはふさわしくない暗い絵を描いていましたが、それでも編集者から何も言われませんでした。忙しくなってくると、自分のイメージを形にする時間もなくなり、編集者が望むような絵を描くことにしました。
そうすると、抑えていた表現欲がジワジワ膨れだして、アンディ・ウォーホルのようなシルクスクリーン作品を作ろうと思い、現代思潮社が創立した美学校の岡部徳三シルクスクリーン工房に入学しました。美学校の実技の授業は週1回だったので、仕事をしながら通っていました。
入学して半年ほどした頃、ビニ本のレイアウトを請け負っていた森下信太郎さん(のちの白夜書房社長)から、取次を通すエロ雑誌を作って欲しいと頼まれて、編集費(原稿料・撮影料・デザイン料込み)30万円(現在の70万円ぐらい)で請け負って、『New Self』という雑誌を見よう見まねで作りました。編集の仕事は初めてだったのですが、雑誌ができあがった時の喜びはひとしおで、書店を回ってみたりしました。
最初は1号だけかと思っていましたが、月刊で出すと言うので、美学校に行っている時間もなくなり、アルバイトを1人雇って、事務所を借りて編集していました。原稿は依頼していましたが、予算の関係で、表紙のデザインから本文のレイアウト、読み物のカットまで全部自分でやっていました。
それでも足が出てしまい、これじゃあ続けられないと思っていた頃、『New Self』をビニ本の会社から分けて、セルフ出版という会社を作って出版するからメンバーになってくれと言われ、予算が足らないこともあって、セルフ出版の取締役編集長ということで参加することになります。