第165回直木賞を受賞した『星落ちて、なお』(澤田瞳子・著/文芸春秋)

「母娘二代で作家」と言われても

生まれ育ちは京都です。京都というのは総じて面白い街ですが、なかでも私が子ども時代を過ごした銀閣寺や京都大学周辺は、古都の景色と新奇な生活文化が入り交じるなエリアです。夜中まで開いている謎の雑貨屋とか、変な店主がいる古本屋とか、おばあちゃん二人が営む22時間営業の定食屋とか、不思議で楽しい店がたくさんあって。良くも悪くも多様性があるというか、好きなことを好きなようにできる街なんですね。

そんな空気を吸って育った私の子ども時代といえば、ほぼ読書しかしていません。早くから、作家だった母(澤田ふじ子さん)宛に届く小説雑誌を読んでいました。西村京太郎さんや赤川次郎さんといった現代ミステリーに始まり、歴史小説に官能小説まで、手当たり次第読んで、そこから興味を抱いた作家さんの単著へと広げていきました。かなり早熟な読書体験だったと思いますが、そのおかげで今があるのかと。

小説を読むのは大好きでしたが、書きたいとか、小説家になろうという気はまったくありませんでした。書き始めるにあたって、母から影響を受けたこともありません。母も私の仕事にはあまり関心を持っておらず、今回の受賞を電話で伝えても、「ああよかったね。でも、私は表彰式行かないよ」で終わってしまうような人なんですよ(笑)。

だから、「母娘二代で作家」と言われても、それらしいやり取りがなくて、取材してくださる皆さまのご期待に沿えず……。しいていえば、初めて書く小説の舞台を天平時代にしようと決めた時に、「古代の話は売れないよ」と忠告されたことぐらいかな(笑)。私が「でも、面白くすればいいんでしょ!」と反発したら、「そこまで言うならやってごらん」と。今にして思えば、反発しておいてよかったですね。

学生の頃は、歴史学の研究者を目指していたんです。私はもともと「知らないことを知りたい」という欲求が強く、新しい知識を得られるという意味では勉強も苦になりません。

小説も大好きではありましたが、読めばその世界のことはわかってしまう。いっぽうで、歴史は史料をどれだけ読みこんでも、ピンポイントの出来事が見えてくるだけ。事実と事実の間にある空白の部分が、謎として常に残ります。それが歴史学に強く惹かれた理由だったように思います。