自分は研究には向いていないと思った理由
研究テーマとして奈良仏教史を選んだのも、わからないことの多さにときめいたからですが、実はもう一つ理由があって。中世以降と違い、古代は文献史料が極めて限られているんです。だから、「読む本が少なくてすむよ」と先輩たちにそそのかされまして。学ぶのは嫌いではないとはいえ、根が怠け者なので、労力を省けるならそのほうがいいや、と。(笑)
しかし、博士課程前期までいったところで、自分は研究には向いていないな、と思うようになりました。研究者は、9割9分まで事実を積み重ねて緻密に論旨を構成したうえで、ほんの少しだけ想像を乗せて自説を形成するものなのですが、私は雑な人間なので、6割か7割の時点で「よっこいしょ!」と想像の梯子をかけてしまう。当時の指導教官からは、たびたび「もう少し緻密な論考をしたほうがいいよ」と注意されましたし、私自身も限界を感じました。
ただ、小説家になろうと思って大学院を辞めたわけではなく、方向転換した直後は、博物館で働くなどして過ごしていました。そんな時、母のところにいらしていた編集者に「京都を舞台にした歴史エッセイを書いてみないか」と勧められて、文章を書き始めたのです。京都の街や歴史の豆知識を紹介するものでしたが、面白くて夢中になりました。
その後、もう少し大きな歴史の流れを書きたいと考えるようになり、それならば小説を、と思い立った。そして書き上げたのが、デビュー作『孤鷹の天』でした。
作品のヒントになったのは、大学時代の恩師の言葉です。ある時、「皆さんの中では奈良時代と平安時代はまったく別の時代かもしれないけれど、平安京の桓武天皇は、奈良時代の終わりに立ちあっている」と言われたのが印象に残っていたんですね。それがアイデアの緒になりました。
6割7割の史実に想像を積み上げる私のクセも、小説ならば活かすことができる。大学時代に学んだことは、小説家になってから役に立ったんです。