(イラスト・雪下まゆ)

青春群像劇の傑作を
冒頭一挙掲載!

十年前に北海道道立白麗高校を卒業した3年6組の元クラスメイトたちに、校庭に埋めたタイムカプセルの開封を兼ねて同窓会を開催する案内が届いた。

 

SNSも立ち上がり、高校生活の思い出に盛り上がる彼ら。しかし、「岸本李矢さんを覚えていますか」という、謎めいた書き込みが波紋を呼ぶ。それは、いじめが原因で転校していった生徒の名前だった――


過去の「いじめ」を問い直す、乾ルカ 青春群像劇の傑作長編の冒頭を一挙掲載します

おまえなんかに会いたくない
おまえなんかに会いたくない
作者:乾ルカ
出版社:中央公論新社
発売日:2021/7/21
amazon 楽天ブックス honto 紀伊國屋書店 7net

「著者プロフィール」

乾ルカ(いぬい・るか)

 

1970年北海道生まれ。2006年、「夏光」でオール讀物新人賞を受賞。10年『あの日にかえりたい』で直木賞候補、『メグル』で大薮春彦賞候補。映像化された『てふてふ荘へようこそ』ほか、『向かい風で飛べ!』『わたしの忘れ物』など著書多数。8作家による競作プロジェクト「螺旋」では昭和前期を担当し『コイコワレ』を執筆した。近著に『明日の僕に風が吹く』『龍神の子どもたち』がある。

プロローグ

 

 五月の図書室はひっそり閑(かん)としていた。
 白麗(はくれい)高校には図書部がない。昔はあったのかもしれないし、この先いつかできるのかもしれないが、私が入学してから今まではなかった。カウンターの中では、中年女性の司書教諭がノートパソコンを叩いているようで、かすかな打鍵音が断続的に聞こえてくる。
 私は人文の書架から目当ての一冊を引き出した。専門書には程遠い、ムックのような一冊。日本各地の因習、伝承などをオカルト風味に編纂したものだ。たまたま手にしたら下世話な感じが面白くて、図書室に来るたびに数ページ読んでしまう。
 遺言墨(ゆいごんすみ)のエピソードも、何年か後にはこういう本に載っていそうだ。私たちの周りで一番知られているのは手紙で男子に告白する話だが、ローカル色が濃い別のエピソードも各地方であると聞く。そういう物語を集めて漫画化したのがあればいいのに。私が描けるものなら描くけれど。妹にもう少し画力がついたらやらせようか。
「桜庭(さくらば)さん」
 打鍵音がしないなと思ったら、いつの間にか司書教諭が隣に来ていた。
 教諭は優しくかつ諭すように言った。
「借りたらどう?」
「持って帰ると汚しそうで。カバン重くしたくないし」
 教諭は呆れたような表情になった。本を眺めながら窓辺に寄れば、校庭の方角から放課後特有のざわめきが聞こえてくる。部活動の声だ。私は本を書架に戻すと図書室を出てグラウンドへ向かった。三井のところへ行ってみよう。本当はすぐに帰宅して勉強しなければならない。成績が下がって二年の夏前に吹奏楽部を諦めたのだから。けれど、なんだかんだで学校に居残ってしまう。私は授業が終わった後の学校の雰囲気が好きだ。自由で静かなくせに騒がしい。学校は放課後からが本番という気すらする。
 外履(そとばき)に履き替え、三井がいるはずのテニスコートへ急いだ。運動音痴じゃなかったら、私もテニスをやってみたかった。テニス部員が主役の漫画を何作も知っている。部屋に全巻揃えている作品だってある。
 テニスボールの黄色い球がヒットされる軽快な音に、知らず小走りになる。本当になんていい音なんだろう。テニスボールを打つ音は、冬の終わりを知らせてくれる。金属バットが硬球を打つ音も春らしい。これらは冬には聞こえない。白麗高校に室内練習場などないのだから。グラウンドにいる生徒たちは、どの部活動も土が出るのを心待ちにしていたという感じだ。野球部、サッカー部、陸上部、ソフトボール部、ラグビー部。今日は特にサッカー部に熱を感じる。紅白試合があると言っていたっけ。
 コートの金網のそばまで行くと、ジャージ姿の三井はすぐに私に気づいて、乱打を中断して手を振ってきた。
「桜庭ー! 勉強しなよ!」
 三井の一言でその場のテニス部員がどっと笑った。私の不本意な成績や去年の退部の顛末を知らないだろう下級生にも、笑われてしまった。気にしない。私も笑ってしまう。確かに勉強しなくては。
「息抜きも重要だから!」
「桜庭は常に息抜きじゃん」
 練習を再開した三井の動きを、金網に指を絡めて眺める。キレのあるフォームだ。平均的な体格なのに、体の回転をうまく利用して誰より鋭いボールを返す。後方から集団の足音が近づいてくる。振り向くと、運動着姿の吹奏楽部だった。白麗高校吹奏楽部は伝統的に、肺活量増量の名目で体力づくりを要求される。私も部員時代は練習前に走ったものだ。先頭は部長でサックスのパートリーダー。手入れの行き届いた髪の毛を後ろで一つに束ねた副部長の井ノ川(いのかわ)が、彼の後ろに続いている。室田(むろた)もいた。ああ見えて運動神経も抜群の井ノ川に遅れまいと気張っている顔だ。井ノ川の後ろにはその他の部員が二十名強。新入部員はまだ増えるだろう。
「室田! 頑張れ!」
 三井がまたコートの中から呼びかけた。室田は走りながらちょっと手を上げた。三井は名前を知っている三年の部員へ向けて、次々とエールを送る。私も便乗して応援した。そして。
「井ノ川! ファイト!」
 三面あるテニスコートエリアの横を走り過ぎようとしていた井ノ川が、振り向いて微笑んだ。ランニング中とは思えぬ余裕の表情だった。