1956年、35歳の時にドイツへ

私の学んだ小学校では6年生の終わりに卒業論文を書くのですが、そこで私は「将来はピアニストになって、世界中を飛び回るのだ」と書きました。でも実際に日本を出て海外で活動するようになったのは、56年、35歳の時からです。23歳で日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のソリストとしてデビューし、その後も国内で順調にリサイタルを重ねていたのですが、「自分のピアノには何かが足りない」「もっと勉強をしたい」という思いを抱えていました。

そんな折、モーツァルト「生誕200年記念祭」に日本代表としてウィーンへ派遣されたのをきっかけに、ベルリン音楽大学に留学できることになりました。そこを拠点に研鑽を積むなかで、ヴィルヘルム・ケンプ教授によるベートーヴェンのセミナーがあることを知り、私は勇んで参加を決めます。世界中の若くて優秀なピアニストの演奏を間近に聴くだけでなく、ケンプ教授が彼らの演奏を「この音はこうだろう」と一つ一つ的確に直していく様子に、ヨーロッパの音楽文化の奥深さを突きつけられた思いがしました。

そうした圧倒的な経験をすると、「世界にはすごい人がいるものだ」とひるんでしまう人も多いかもしれません。しかし私という人間は、少々しんどいと思う時のほうが踏ん張りが利くのね。「彼らと私は何が違うんだろう。どうすればよりよい音楽になるのか」と考えに考えながら、ピアノに向かう毎日を過ごしました。そんな私を見ていてくれたのか、セミナー終了時にケンプ教授から「ベルリンに残り、ベートーヴェンのソナタを弾くリサイタルを開くように」と、思いがけない提案を受けたのです。