予科生の頃同期と。右下が越乃さん

家族会議で第二希望の芸名を決める

そのあと試験に挑んだタップの成績は
「40人中39番」という中途半端な順位に。

いっそ40番のほうがよかったわ、と開き直っていたら
39番が2人いた事が判明。見事にビリを獲得していたのでした。

タップのみならず、ピアノも負けず劣らずなかなかな成績でした。
でもそんな中、昔は声の出し方もわからず泣いていた歌の成績が、
予科のときの最下位あたりから、本科になり10番以内に入ったのは嬉しい出来事でした。

そんなこんなであっという間に時が過ぎ、芸名を考える時期になります。

芸名は、自分で考えた名前でも、エライ先生につけてもらった名前でも
占い師につけてもらった名前でも、劇団からの許可が下りなければ使用できません。
そのため、第二希望も提出します。

「越乃リュウ」同様に、家族会議で生まれた第二希望の名前も
やはり新潟色の濃い名前でした。