10月にノーベル物理学賞を受賞した90歳の真鍋淑郎さんが記者会見を通じ、国籍を置くアメリカの充実した研究環境や資金の潤沢さについて触れて話題になりました。新型コロナウイルスに対して効果をあげているmRNAワクチンの開発者の中心人物で、今やノーベル賞に最も近い研究者の一人と言われるカタリン・カリコさんも東西冷戦の中で不景気だった母国・ハンガリーでは行き場を失い、やはりアメリカに渡ることになったそうで――。
研究費の打ち切り、新天地アメリカへ
1985年1月17日。
30歳の誕生日に、当時在籍していたハンガリー有数の研究機関であるセゲド生物学研究所を辞めなければならないと知らされたカタリン・カリコ氏。
RNAに関して、思わしい研究成果があげられなかったから研究費が打ち切られた、というのも理由のひとつだったが、どれだけ優秀であっても、若い人材を正規雇用することはできなかったのだ。社会主義の国では珍しいことだが、ハンガリーの景気が低迷し、研究資金を出せなくなっていたことがその背景にあった。それほど当時の経済状況が不安定だったのだ。
それでも、カリコ氏は研究を続けることを諦めたくなかった。
「ハンガリーで仕事を探したけれど、申請したところはどこも返事をくれなかったの」
「ヨーロッパの名門大学でも探したわ。理学部も医学部もあって、私たちが研究をしていたRNAも扱っていた大学を調べて連絡をしたのよ。でも無理だった」
まだEUなども存在せず、ハンガリーを援助したり、行き場を失った学者に国境を超えて職を提供したりするような仕組みはなかった。結局、オファーが来たのは、アメリカ東部フィラデルフィアにあるテンプル大学からだった。
「テンプル大学に手紙を書いたのです。自分が何者で、どんなことができるのか、ということを書きました。その手紙を同じ分野で活躍する先生が読んでくれて、研究所に私を呼んでくれたのです」