AIが作曲した音楽で、私たちは感動できるのか

10年ほど前からでしょうか。私は大学で教鞭をとりながら、浦島太郎になったような心許ない気持ちに襲われるようになりました。当然通じるだろうと思って話した内容に学生がみな、ぽかーんとしている。世代や好きなジャンルは違っていても音楽が好きという思いがあれば共有できたはずの感覚が、どこか決定的にずれているのです。

たとえばビートルズという名前を出したとき、名前は知っていても、彼らがどんな音楽を作り、世界にどのような影響を与えたかには興味を示してくれない。私の専門は19〜20世紀のクラシック音楽なのですが、「近代の音楽は人間の内面の表現だ」という話をすると、「先生、“内面”って何ですか?」と真面目な顔で訊いてくる。「世間に隠しておきたい裏の顔。つまり親に見られたら困るエロ本みたいなものだよ」と話すのだけど(笑)、どうもピンと来ないようなのです。

その背景のひとつには、「音楽を聴く」行為が歴史的な転換期を迎えていることがあるでしょう。インターネットで無料の音楽や情報がいくらでも手に入り、AI(人工知能)が作曲まで始める現代、私たちと音楽の関係はどう変化していくか。本書ではさまざまな視点から考えてみました。

昨今は、スマホでネット配信の音楽を楽しむのが、一般的な「音楽の聴き方」になりました。それによって失われたもの、逆に気づかされたものは何なのか。たとえば、私自身、授業でバックハウスの弾くベートーヴェンの後に前川清をかけるなんてことがありますが、「ジャンル意識」というものがない。

レコードやCDにあった、暗黙の「取り合わせの作法」をコース料理とすると、ネット配信はバイキングです。作者という存在が意識されにくくなり、作り手や曲が生まれた背景について興味が持たれにくい傾向にある。一方で、何十年も前の伝説の演奏会や、非公開リハーサル映像に出会うこともあります。

また、音楽に癒やしを求める風潮についても、本書では繰り返し述べました。音楽を褒めるときに「癒やされた」と表現するのは、自分にとって違和感がない、わかりやすい、仲良くできそうということ。それって何だか、小学校のクラス目標みたいじゃないですか(笑)。人間にはもっとドロドロした怒りや欲望、わけのわからない衝動も潜んでいます。そうした内面を刺激してくれるような音楽も、人生を豊かにしてくれるはずです。

最終章では、AIがモーツァルトやビートルズと同じようなかたちで、人を感動させる音楽を作れるかについて考えています。私は「できない」という立場。ただし、人間の感性のほうが劣化してしまったら、モーツァルトは消えてしまう。現実にはむしろそちらのほうが起こりそうな気がしています。「これを聴けば元気になる」、音楽に限らず「こうしたらこうなる」といった目的だけを求めるのではなく、どこかへ出かけていけば、結果的に癒やされたり、鼓舞されたり、さまざまな豊かな出会いがある。それが人間らしいセンサーではないでしょうか。

本書では、章ごとのテーマに合わせて私から「おすすめの音楽」を紹介しています。西洋音楽の古典、ジャズの名演奏、ギリシャ出身の若きカリスマ指揮者、あらゆる楽器を一人で演奏する10代のYouTuber、AIが作曲したビートルズ風の新曲まで。多くはネットで視聴できるものなので、新しい音楽との出会いにつながってくれれば幸いです。