今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『謎ときサリンジャー「自殺」したのは誰なのか』(竹内康浩、朴舜起著/新潮選書)。評者は詩人の川口晴美さんです。
青春を超えた普遍的な文学と思索の世界が目の前に
J・D・サリンジャーは青春の文学というイメージがある。私も若い頃『ライ麦畑でつかまえて』や短篇集『ナイン・ストーリーズ』などを愛読した。
謎の残るストーリーと哲学的な会話は理解の及ばないところも多かったけれど、他者や世界に対してひりひりするほど研ぎ澄まされていく感覚と感情が軽やかな文体で語られる雰囲気が素敵だと思っていた。しかしそんなふわっとしたものではなかったのだと、本書を読み衝撃とともに思い知ることに。
「バナナフィッシュにうってつけの日」という印象的なタイトルの短篇は『ナイン・ストーリーズ』冒頭の一篇だ。
ラストシーンではホテルの一室で拳銃が撃たれ、主人公のシーモアがなぜか突然自殺したのだと読み取れるように書かれているのだが、本書はそこに疑問を投げかける。それは本当に「自殺」だったのか。そこにはもう一人の人物がいたのではないか。だとしたら死んだのはいったい誰なのか。
ミステリーの探偵が捜査するように、著者らはサリンジャーが作品に張り巡らした表現の細かな工夫に光をあて、それらを手掛かりに謎へ踏み込んでいく。
禅の公案や芭蕉の俳句にまつわるエピソードも丹念に解き明かしながら、サリンジャー文学を貫く時間感覚、死者と生者との関係性に迫った緻密な論理展開は、鳥肌立つほどスリリングな読み心地。青春を超えた普遍的な文学と思索の世界が目の前に開かれる。