「もう、絶対に引き受けないから」

「石岡さん、東京五輪大会を仕切ってくれないか」
「へえ、面白そうね。でも、だめよ。もう競技場は完成してるんでしょ」

「入れものは一応できてるんだけど」
「やるなら全部まとめてやりたい。セレモニーだけちょこっとお手伝いしました、なんてのはお断わり」

「でも北京オリンピックのときは、開会式の衣装デザインを引き受けたじゃないか」
「あれは外国だから」

「レニ・リーフェンシュタールと張り合う気なのかい」
「レニはレニよ。私はただ完璧な仕事をやりたいだけ」

妄想は現実にもどる。石岡瑛子はすでに故人である。

生前、私は一度、石岡瑛子を泣かせたことがあった。

「もう、五木さんの仕事なんか、絶対に引き受けないから」

場所は青山の『パスタン』という店だった。深夜ずっとやっていて、知らない客がくると露骨にいやな顔をする変り者のマスターがいた。

あれはいつ頃のことだったのだろうか。まだ石岡さんが若かった時期の出来事かもしれない。

事の発端は、私が彼女に舞台美術の仕事を頼んだことにある。『幻の女』という本を出して、それに舞台化の話が舞い込んできたことがあった。『幻の女』は今でいうジェンダーを主題にした小説で、一種、前衛的な感じのする作品だった。いまならさしずめファンタジー扱いされそうな物語りである。それをある劇団が上演したいと言ってきたのだ。

「脚本は誰が書くの」
「別役実さんだと聞いたけど」
「ふーん。三宅一生さんも参加するのね。だったらやってみるのも面白そうだな」

というわけで、石岡さんが舞台美術を担当してくれることになった。

そのステージを私は観ていない。小説を書くのが私の仕事で、映像化されたり芝居になったりしたものは、そのスタッフの作品だと最初から思っていたからだった。