マスコミ生活にうんざりして金沢へ

あれはいつ頃のことだろうか。私の曖昧な記憶では、たぶん1960年代の後半にさしかかった時期のような気がする。

当時、私は北陸の金沢市に住んでいた。市内のちょっと外れの小立野という台地の一角である。

私が東京での仕事を整理して金沢に移住したのは1965年のことだった。それまでの東京での、いわゆるマスコミ生活にうんざりして、後半生を地方都市で隠れて暮そうという心積りだったのだ。配偶者の郷里でもある金沢は、当時はまだひっそりと眠ったようなおだやかな街だった。

その街で、当時はやっていた貸本屋か、古書店、もしくは店主一人の小さなカウンターのカフェでもやって暮せないか、というのが私の身勝手な夢だったのだ。

当時、繁華街である香林坊と旧制四高の赤煉瓦の建物とにはさまれたあたりに、一軒の小さなカフェがあった。「蜂の巣」というその店は、昼も夜もあまり客の姿はなく、眠ったような街にぴったりの感じの店だった。ジョーン・バエズとかボブ・ディランのレコードなどがかかっていて、文庫本を読みながらコーヒー1杯で何時間ねばっても放っておいてくれるところがとてもよかった。

午後、小立野のアパートを出て、下駄ばきで兼六園を抜け、香林坊まで歩く。福音館書店、北斗書房、北国書林、宇都宮書店と、本屋の梯子をして「蜂の巣」へ寄る。夕方まで本を読み、帰りにバッティングセンターで1時間ほどすごし、最後に近江町市場で魚とか野菜を買って部屋にもどるのだ。夜は発表する当てのない小説を書きはじめていた。

そんなふうにして1965年が過ぎ、金沢は雪になった。

写真提供◎AC