迷った末に私は覚悟を決めた
食べていくだけのことなら、私には自信があった。敗戦後の外地で弟と妹を抱えて生きてきたことを考えると、どんな事でもやれるだろう。
しかし、迷った末に私は覚悟を決めた。
〈九州筑後の山家の猿が 花のお江戸でひと踊り〉
というのが、当時の私の心境だったのだ。
1966年、そして67年と狂ったような日々が続いた。原稿は空のタクシーに頼んで小松空港まで運んでもらう。全日空の航空便で羽田へ届けた原稿を、編集者が待ち構えて受け取る──。当時はFAXさえなかったのだ。タイトルだけを後から電話で送ったので、思いがけない失敗もあった。『詩的な脅迫者の肖像』と伝えたのに、雑誌では『素敵な脅迫者の肖像』となっていたこともある。
そんな狂乱の日々のあいだに、一人の不思議な女性が私を訪ねてきたのは、たぶん夏の終り頃のことではないだろうか。
その日、座敷でうたた寝をしているところに、
「五木さん」
と、声をかけてくる人がいた。庭に面した縁側に、いつのまにやらはいり込んできたらしい。黒い服を着た若い女性だった。少女というには存在感がありすぎ、娘さんというにはドスのきいた声である。黒い髪を眉のあたりで切り揃え、初対面の私に笑顔ではなく、不機嫌そうな視線を向けている。