政治議題化する「女性」

イスラームとサウジアラビアは、絶えずこのような蔑視に晒さらされてきたといっても過言ではない。

『サウジアラビア―「イスラーム世界の盟主」の正体』(著:高尾賢一郎/中公新書)

男たちは女たちの上に立つ管理人である。アッラーが一方に他方以上に恵み給うたことゆえまた彼らが彼らの財産から費やすことゆえにそれゆえ良き女たちとは従順でアッラーが守り給うたがゆえに留守中に守る女たちである。(クルアーン四章三四節

女の信仰者たちに言え、彼女らの目を伏せ陰部を守るようにとまた彼女らの装飾顔と両手以外は外に現れたもの以外表に現してはならない 同二四章三一節

こうしたクルアーンの聖句は、たとえ女性を守ることが本旨だとの説明を受けても、西洋近代的な価値観を持った人々の目には女性に対する抑圧としか映らないだろう。

女性は男性によって守られるべき存在かもしれないが、それは貞潔や従順であることと引き換えである。これは決してイスラームに固有なジェンダー秩序ではなく、むしろ西洋の騎士道精神やレディー・ファーストに強く見られる。

しかし、メッカ女子校火災事故(2002年、メッカの女子校で火災事故が起きた際、校内で髪や肌を出している女子生徒が男性の目に触れるのを防ぐため、彼女らの避難や消防隊員の救出活動を勧善懲悪委員会が制止し、15名の死者が出た事故)のような悲惨な出来事によって、人類社会に広く存在するはずのマッチョイズムの責苦を、とくにイスラーム社会が負う立場に置かれるようになったことは確かであろう。

こうした批判への対応を含め、サウジアラビアでは1990年代に女性の社会進出が重要な政治議題となった。当時、国内では人口増加に伴って失業率の上昇が社会問題となり、政府は雇用創出という課題に直面した。

ひとまず政府は、違法外国人労働者の取り締まり強化と就労査証の取得手数料の値上げをとおして、民間労働力の95%を占めていたとされる外国人労働者の減少を図り、代わって自国民の雇用確保に取り組んだ。そしてこの一環で、潜在的な労働力であった女性の社会進出を促し、労働者の自国民割合の増加を目指した。

2000年代に入ると、政府にとって女性は国際社会を意識した政治議題ともなった。9・11やメッカ女子校火災事故をとおして、サウジアラビアに対して「テロリストの温床」、保守的なイスラーム社会といった否定的なイメージが強まった。

この結果、政府は女性の権利拡充を、国内の経済および労働市場にかかわる問題解決にとどまらず、海外に向けて社会の変革をアピールするための方法とも位置づけた。