活字は、より深いものが伝わるメディアである

さまざまな価値観があるなかで、僕が一番大事と捉えているのは、「自由」。ところがコロナ下で、日本の人々がこんなにも簡単に自ら自由を手放すのか、というのは大きな発見でした。それは歴史の再演を見ているようでもあった。

たとえば「不要不急」という言葉。戦時下では「不急の旅行で戦力を減らすな」などと使われたようですが、歴史上で起きたことが身近で起きているというのは、一研究者としては興味深い現象でした。

いつも「あきらめムード」の人は、安易な厭世論にのらず、「社会のこの条件を変えたらこう変わるのではないか」と考えてみては。僕自身、「社会には違うありようもあるはず」と提案するのも社会学者の仕事だと思っています。

4年前から小説も書いています。書いてみて感じたことがあって、たとえば戦争体験を話してくれた祖母が亡くなり自分の気持ちを書き残そうとした時、社会学や評論の言葉では思うように文字が埋まらない。だけど「これはフィクションです」という前提があると、「本当のこと」が書けると感じました。

活字は、より深いものが伝わるメディアである。僕はそう信じています。