死ぬとき恥ずかしくないような生き方したい
さだ 人を笑わす職業は、心底大変だと思う。でも鶴瓶ちゃんは、なにがそうさせるのかわからないけど、この数十年、本当に真面目に落語をやってるなと思います。
鶴瓶 それはね、うちの師匠がこの世界に入れてくれたという、ただ一点ですよ。上方落語協会の四天王と言われた笑福亭松鶴がいて、いまの俺がある。だから上方落語の繁栄を願うバトンを、弟子が繋いでいくしかない。俺はタレントとして先に売れたけども、最後はやっぱり落語をやらなあかん。
清水 さださんは、鶴瓶さんがいつかこんなふうに真面目に落語をやるようになると思ってましたか。
鶴瓶 この人はね、俺が落語に向き合うずっと前から、「あんたは、最後は人情噺やるようになるよ」って言ってた。
さだ 直感ですけどね。それに20年ほど前、(立川)談春に会わせたあたりから顔つきが変わりましたね。談春の噺を聴いて、なにか風が吹き込んできたんじゃないかな。
鶴瓶 まあ、もう真面目に落語やってもいい歳になってたから。「六人の会」を(春風亭)小朝さんとかと一緒につくったのが、52のときやった。その少し前には師匠の家を買わなあかんことにもなって。
清水 跡地に寄席小屋を建てたとき、私、てっきり鶴瓶さんの趣味かと思った。
鶴瓶 確かにそのころ、落語ができる小屋をつくりたい気持ちはあったよ。師匠も、奥さんのあーちゃんも亡くなって、跡地にマンションを建てようと思うって娘さんから電話をかけてきた。結局家は俺が買うことになって、そこで月に一度の「無学の会」をはじめて20年以上になります。2人ともゲストできてくれたやんか。
清水 よく続けてますよね。
鶴瓶 月に一度、師匠に会いに行ってるってことやな。でも、どないなるかわからん男を拾うてくれた人やから。噺家はみんなそうやけど。こういうことは、師匠が生きてるときはわからへん。ただでかいこと言うと、死ぬとき恥ずかしくないような生き方したいと思います。まあ、恥ずかしいことはいっぱいしてきたけどな。(笑)
清水 誰も否定しない。(笑)