身体の正直さが愛おしい
身体を意識するようになったのは、40年前にヨガに出合ったのがきっかけです。
わが家に泊まりにきた2人の友人が、朝起きたらおかしな体操のような動きを始めたので、「なにそれ」と聞くと「ヨガ」と言いました。興味を持ち、近所の公民館で開かれる教室に通いましたが、結局子育てと仕事が忙しくなり、1年も続きませんでした。
再開したのは、それから15年ほどしてから。離島で知り合った先生にヨガを習い、のめり込んでいきました。一度は母と同居するために実家に戻りましたが、母を看取ったあと、60歳でヨガ講師の資格も取りました。やればやるだけ変化が表れる。身体の正直さは愛おしいものです。
コロナ禍でヨガ講師の仕事がパタッとなくなり、時間があり余ったこの1年数ヵ月。いままで避けてきた難しいポーズにも挑戦しました。4、5年前はすんなりできていたポーズが難しくなっていたりしますが、身体と対話しながら、自分を再発見できるのは楽しくて仕方ありません。
2年前、久しぶりに健康診断を受けてみたところ、すべてが正常値でした。おかげさまで常用する薬もなければ、定期的に通う病院もありません。
それがよいことか正直わかりませんが、若いころからさほど体形も変わらず、体中痛いところも凝っているところもなく、足腰も丈夫、快食快眠快便、体内年齢を測定してもらえば15歳も若いというのが、いまの私です。
その理由を辿ると、自力での生活を心がけ、せっせと歩き、ヨガを行ずる自分の姿があります。
因果関係はわかりませんし、もうひとりの私がいて、正反対の生活をしていたら果たしてどうなっていたのかもわからないので、迂闊に誰かに勧めはしない。でも心がけてきたのは、常に「もうひとりの自分が、自分を見ている」という暮らしでした。
そしてその暮らしを楽しいと思い続けてきた結果、いまの健康を得られたのであれば、それらはおまけというか、これまでの人生のご褒美としていただけたのだろう、と思うのです。