偽書の形をとったフィクション
〈ウラディミール・ホロヴィッツが弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番は、オカマのオカマによるオカマのための賛美歌だ〉
カーネギー・ホールにおけるホロヴィッツの演奏に欲情した女装の少年が恋人と男子トイレで性交し、捕まえようとする連中を尻目に夜の街に飛び出していく──。同性同士のセックスが犯罪とされ、同性愛文学などもってのほかだった1950年代のアメリカ。先に引用したのは、ジュリアン・バトラーが高級誌「エスクァイア」の1953年12月号に発表した長篇第3作『ネオ・サテュリコン』第1章の冒頭部分だ。
ニューヨークの女装の男娼の性的遍歴を描いたデビュー長篇『二つの愛』。ローマ皇帝ネロと去勢して結婚した少年スポルスの生涯を描いた第二長篇『空が錯乱する』。この2作がパリのオリンピア・プレスから刊行されており、いずれもアンダーグラウンド・ベストセラーになったジュリアンは、『ネオ・サテュリコン』をもってアメリカ文壇における最高にスキャンダラスな問題児として悪名を轟かせることになるのだ。
マッカーシズムによって同性愛が迫害されていた50年代、ビート・ジェネレーションが席巻し、カウンターカルチャー華やかなりし60年代、ピンチョンやバーセルミらのポストモダン小説が一世を風靡した70年代。1925年に生を享け、米文学界がもっとも騒々しかった時代を颯爽と駆け抜け、現代にあっては〈二十世紀のオスカー・ワイルド〉とまで奉られているジュリアン・バトラー。評論家のアンソニー・アンダーソン(本名ジョージ・ジョン)が書いた回想録を川本直なおが翻訳し、精妙な解説にあたる「あとがき」と膨大な主要参考文献リストをつけたというスタイルの小説が、この『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』だ。そう、これは偽書の形をとったフィクションなのだ。
自己顕示欲が強くて、派手なことが大好きで、〈僕は女になりたいわけじゃないよ。男だとか女だとかそんなのどうでもいい。綺麗になりたいだけ〉と胸を張るジュリアンの魅力。実在の有名人が綺羅星のごとく登場する物語の巻を措く能わずの面白さ。ジュリアンやジョージが書いた作品を小説内小説として紹介するメタフィクションとしての見事さ。書くとはどういうことなのか、作者とはいかなる存在を指すのかといった文学的な問いを投げかける仕掛け。同性愛文学としての正統性。読みどころをこれでもかとばかりに備えた、これは超ド級の傑作なのだ。
名門男子寄宿学校で17歳のジュリアンと出会った〈私〉ことジョージが、2人の35年間にわたる日々を89歳の時に回想する。そこから浮かび上がってくる稀代のヒップスターの“真実”が何なのかは、これから読む人のために明かさない。憧れと失望、成功と挫折、愛と依存、光と闇に彩られた2人の足跡に感情を揺さぶられながら読み進めていってください。
ジュリアンもジョージも世界文学事典で調べたって出てきやしない。でも、2人は川本直の巧みな語り/騙りによって、わたしの中では実在の人物になったのである。