今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『ウディ・アレン追放』(猿渡由紀著/文藝春秋)。評者は詩人でエッセイストの白石公子さんです。

「作品に罪はない」について考えさせられる

映画界の巨匠ウディ・アレン監督と女優ミア・ファロー。2人のスキャンダルと法廷闘争の噂は、遠くで小耳に挟む程度だった。しかしあの#MeToo運動の流れで、ウディがハリウッドから追放されていたとは――。

本書はウディとミアの長きにわたる泥沼の闘争、そして#MeToo運動までの経緯を今一度、公平かつ客観的な立場から見つめ直したノンフィクション。あらゆる記録資料やインタビュー映像、取材をまとめて検証、分析している。

かつてセレブ・カップルとして有名だったウディとミアだが、その関係が一転したのは1992年、ウディがミアの養女スンニ(当時大学生)と男女の関係になっていたことが発覚したからだ。半年後、ミアはもう一人の養女ディランへの性的虐待容疑でウディを告訴する。のちに証拠不十分で無罪となったウディはスンニと結婚するが、疑惑の火種はずっとくすぶり続けていたという。

そして#MeToo運動が起こるのだが、この立役者がウディとミアの実子ローナン・ファローだというから因果は巡る。運動の発端となった大物映画プロデューサーのセクハラを告発する記事を書いたローナンは、ピューリッツァー賞を受賞、同時にウディへの疑惑が再燃した。世間の大半はミアとローナン親子に味方し、ウディを窮地に追い詰めることになる。

さらに仰天するのは、ローナンの父親は、実はF・シナトラという説があり、ミアが否定していないこと。

もうこうなると、どちらが噓つきで、どちらが正しいのかまったくわからない底なしの泥沼状態だ。ギリシア悲劇も真っ青の複雑な相関図とセレブ一族の悲惨な崩壊だけが残る。

だからこそ、ウディ・アレンの過去の作品までもが糾弾され、制裁を受けていいものかどうか、日本でも時々論争になる「作品に罪はない」について、改めて考えさせられる一冊。