大叔母の母娘と祖母の影響で口下手に

そもそも、私が口下手になった理由は、子どもの頃の家庭環境にあったと思われます。

私は両親と弟、そして母方の祖母の5人家族でした。戦争で父と兄二人を亡くした母は、長い間、祖母と「母一人子一人」で大きな一軒家に暮らしていました。私の母は祖母の勧めで父とお見合い結婚をし、父は、いわゆる「マスオさん」となって母の実家で家庭をもったのです

子どもの頃、私の育った家でもっとも強いのは明治生まれの祖母。その名も「勝子」(かつこ)といって、本当に気が強くて厳しい人でした。

小学校5、6年ごろには身長が150センチ以上あり、そこからほとんど伸びなかった

友達が嬉しそうに「おばあちゃんの家でお小遣いをもらった」「夏休み、おばあちゃん家に泊まりに行く」などと言っているのを聞くたび、ウチとは大違いと思ったものです。

実は家には、他にも《住人》がいました。

「5人家族」と書きましたが、大叔母と娘が2階で間借りしていたのです。食事は別でしたが、お風呂とか電話とかは共用で、それを仕切っていたのは祖母・勝子でした。

大叔母は祖母の旧姓とは異なる姓でした。大叔母の夫がどんな人であったかは、なんとなく聞いていたものの、私は一度もその男性に会ったことはありません。大叔母はシングルマザーとして、私より8つ上の母の従妹と共に慎ましく暮らしていたものです。何かにつけて干渉してくる勝子の目を気にしていたからだと思います。

とはいえ、大叔母は、祖母とは違う意味で強い女性でした。お勤めもしていたし、とても美しい、社交的な人でもありました。

この大叔母の母娘と祖母の3人は口数が多く、当時は昭和30年代ではありましたが、「女性だって強くなければならない」という考えをもち、いつもとても積極的だったと記憶しています。そのせいで、私は幼心に「家の中で私は喋る必要がない」と判断したように思います。

では母はどうだったかというと、家の中では完全に《娘》でした。そして、夫と息子二人を戦争で亡くした「勝子」は、ずっと《母》だったのです。