写真提供◎山田さん 以下すべて

 

放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。意外にも、小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第1回は、「口下手だった私」です

新卒で就いたのは「キャスタードライバー」

人を変えるのは人。人を変えないのも人。還暦を過ぎ、人生を振り返ったとき、私は実に多くの人たちから影響を受け、その都度、素敵だと感じる部分を取り入れながら、今日まで過ごしてきたように思います。

現在は、「放送作家・コラムニスト」という肩書の私ですが、新卒で就いたのは別の仕事でした。TBSラジオが管轄する「キャスタードライバー」といって、女性2人がペアを組み、アンテナ付きのクルマを自分たちで運転しながら、各地から中継を入れる。文字通り、キャスター(リポーター)兼ドライバーでした。中継先は、朝の帯番組なら、桜や菖蒲の見ごろなどを伝え、午後なら、わざと渋滞に飛び込んで交通情報を入れ、夕方なら、飲食店や駅の賑わいをレポート。「朝顔市」や「羽子板市」、風鈴工場などは、毎年、出向く定番の中継先でした。

テレビの『ザ!ベストテン』の《追っかけマン》よろしく、全盛だった80年代アイドルのサイン会や握手会から中継をしたこともありました。週末は、オープンしたての『東京ディズニーランド』に毎週出向いては、アトラクションやパレードのインフォマーシャルをしたりしたものです。

が、TBSラジオから求められていたのは《プロの喋り手》というよりは、「素人のお嬢さん目線」での中継。アナウンサーのような研修もありましたが、その後は、発声練習も早口言葉もやった記憶はありません。

デスクの男性以外は全員女性。生まれて初めて体験する《女の園》は、共学育ちだった私にはずいぶん苦労もありましたが、それよりは好奇心を満たしてくれる日々の刺激のほうが勝っていたように思います。結局、4年勤めて寿退社したものの、わずか2年で離婚。「キャスタードライバー」は、社の方針で《素人っぽい女性たちが中継する》のが売りでしたから、喋りの仕事で上を目指すのは難しいとわかっていました。

ですが、《見た目》では、タレント並みに美しい先輩や同期が大勢いたものでした。というのも、「キャスタードライバー」はその昔、「JALのスチュワーデス(現CA)」「日産ミスフェアレディ」(日産自動車のコンパニオン)と共に女子大生が憧れる《3大職業》の一つだったそうです。当時、テレビ局の女性アナウンサーは、競争率こそ高かったものの、今のようなアイドル的存在ではなく、どちらかといえばルックス的にも地味でした。

一方、「キャスタードライバー」は、自分たちの中継だけでなく、タレントさんと共に街頭に立ったり、イベントの手伝いをしたりする、コンパニオン的な役割も担っていたため、ルックスはそれなりに大事だったのです。

当時ミニカーも発売されていたほど人気だったTBSのラジオカー

しかし、《キャラクター採用》と言われ続けた私が、退職後、《見た目》はもちろん、前述のように《喋り》でも勝負できるハズもなく…。4年間で培ったキャリアを生かすには、タクシーのドライバーか放送作家しかないと考えたのです。