出会いから約60年、現在まで続く友情
お互いに小学校受験をして同じ学校にいったので、彼女とバス停で待ち合わせ、高校3年生になるまで共に電車通学をしていました。
あまりにもいつも一緒だったので、クラスが一緒になったのは計3年ほど。愛校心に溢れ、いつもキチンとしているから先生方にも信頼され、クラスをまとめることにも秀でていた厚子ちゃんは、男子のみならず、女子からも、ずっと人気者でした。
振り返れば、厚子ちゃんは、いつも私を軌道修正してくれる存在だった気がします。が、そんな彼女のことが眩しくて、高校に上がってからの私は、厚子ちゃんに対する《反抗期》を迎えたものです。わざと遊び人のグループと行動し、一緒に悪ぶったり、何か理由をつくっては厚子ちゃんと共に登校しなかったりした日が増えてしまいました。
実は厚子ちゃんのお母様から私の母もよくしていただいていたため、母への反抗心が《いい子ちゃん》の厚子ちゃんへの反発に繋がってしまったのです。
それでも、厚子ちゃんは、私を放り出さず、大学4年まで付き合ってくれました。
初めての出会いから約60年。その後もずっと同学年のために尽力し、同窓会の万年監事を務めている厚子ちゃん。まだ実家は御近所で、6年前、父が他界したときも、真っ先に、お花を持って、お線香をあげにきてくれたのは、厚子ちゃんと御両親でした。
幼少期、引っ込み思案だった私を支え続けてくれた厚子ちゃんは、決して派手な人ではないけれど、もっとも長い付き合いの友人であり、まっとうな場所に私を戻してくれる指針のような存在と言えます。学校の同級生がいつも私を温かく迎えてくれるのは私が「厚子ちゃんのお友達」だからだと思います。
子どもの頃、一緒に登山やピクニック、遊園地などに行ったように、いつか二人でゆっくり美しい景色を眺め、お茶やランチをしてみたい。コロナ後の私の最大の目標です。