長い付き合いになる《厚子ちゃん》との出会い

いまでも鮮明に憶えていることがあります。私は幼稚園にあがるかあがらないかの頃。女性陣全員でテレビを見ていたところ、「美保子は、この人のことが好きなのよね」「この人がテレビに出てくると、顔が赤くなるから、すぐわかる」と祖母・勝子が言い出したのです。

ジャズ・シンガーの旗輝夫さんのことでした。初恋もまだの頃であり、旗さんは大人の歌い手さんです。申し訳ありませんが、そういう想いは抱いていなかったと思うのです。

が、祖母は執拗に繰り返し、大叔母も、その娘も私を囃し立てたのです。私の顔はどんどん赤くなり、「ほらね」「やっぱりね」ということに…。《母》の主張に、《娘》である私の母は笑って頷くだけでした。

私はこの祖母と母の《母娘》に、結婚と離婚を経験した20代後半まで悩まされ続けました。そのことは追って書かせていただきます。話を《旗輝夫事件》に戻しましょう。

冷やかされるのが好きな人なんていないと思いますが、私は冷やかされるのが本当に苦手で、この日のことが完全にトラウマになりました。

近所の幼稚園にあがっても、正確に理由を憶えてはいませんが、毎日、泣いて帰ってきていました。あまりの惨状に、幼稚園の先生が、積極的を絵に描いたような厚子ちゃんを私に紹介。一緒に登園してもらったお陰で、私はなんとか卒園できました。

だからと言って、口下手や引っ込み思案が治ったわけではありませんでした。年子の弟が同じ幼稚園に通うようになってからは、姉弟揃って、いじめっ子にからかわれていたような記憶があります。そこでも助けてくれたのは厚子ちゃんでした。

小学校高学年の頃。肥満児ということがコンプレックスだったそう

繰り返しになりますが、私は肥満児で、特にかわいくもなく、かけっこも遅くて、ブランコの曲乗りや、ジャングルジムのてっぺんに昇ることも不得手。幼稚園で人気者になれる要素は一つも持ち得ていませんでした。でも、厚子ちゃんは私とは正反対。脚が速くて、活発で、男の子にも大人気でした。

小学校に上がってからも、私の傍らに居てくれたのは、いつも厚子ちゃんでした。