離婚は「悲しい」より「恥ずかしい」時代

実家は都内でしたが両親からは「離婚なんて御近所の手前、恥ずかしいから戻ってくるな」と言われました。そう、離婚は「悲しい」より「恥ずかしい」という時代でした。

離婚に至った理由は、私より7歳も下の女性に夫が「略奪」されたためでしたので、それから10年も立ち直れないほどに深く傷ついていたのも確か。対面で接客することもなく、知っている人に会うこともそうはないであろうタクシードライバーは最適な仕事だと考えました。

運転は学生時代からほぼ毎日していたので得意でしたし、道もよく知っていました。でも考えてみたら、TBSがある赤坂を拠点にしないと目的地に行けないことが発覚。赤坂から杉並、赤坂から足立には行けても、杉並から足立に行く道がわからなかったのです。

結局、タクシードライバーは諦め、番組で自分が話す2~3分程度の台本は書いていたので「これが放送作家だ」と大きな勘違いして、30歳目前で、以前レギュラー番組でお世話になっていた男性放送作家の元に弟子入り。同時に雑誌の仕事も始めて今に至ります。

当時の仕事仲間からは、「山田が放送作家として売れたのは、知り合いの数が多かったからで、決して才能があったからではない」と言われていると人づてに聞いています。《コネ》だけでのし上がってきた…と思われているようです。

ご家族と。左から山田さんのお母さん、山田さん、弟さん、お父さん(故人)。現在90歳のお母さんは「箱入り娘」だったという(写真提供◎山田美保子さん 以下同)

私が身を置いている業界における《コネ》の本質については、追って書かせていただくことになるかと思います。でも、私が《知り合いの数》の多さで、今日までやってこられたのだとしたら、その《知り合い》の皆さんは、本当に素敵な人たちばかり。その方たちに一から教えていただき、今に至ると言えるでしょう。

高校時代、夏休みになるとよく見ていた『ポーラ テレビ小説』のスポンサー「ポーラ化粧品」のCMコピーに、「私がすごいんじゃないの。私の周りにすごい人がいっぱい居るだけなの」(正確ではありません)というのがありました。当時は訪問販売が主で、多くの方に出会っていた《女性》が主人公のCMに、私は強いシンパシーを覚えたものです。

ですが、幼少期の私はというと、引っ込み思案で、おまけに肥満児で、運動神経ゼロで、大人たちから「かわいい」と思われるところが全くない、本当に冴えない子供でした。何より「口下手」だということは幼心に大きな大きなコンプレックスでした。

でも今では、お世話になって既に10年が経つメ~テレ(名古屋テレビ放送)『ドデスカ!』で、新人アナウンサーが初めてエンタメコーナーを担当するときには、プロデューサーから「山田さんの日に」と言っていただくように。初登板の新人アナは決まって私の担当日、傍らに立ちます。