「相続はこれでいいよね」
施設側から家族への説明が終わると、兄が、「さち子さん、自分の車で来たの」と、親しみを込めた声で聞いてきた。名前で呼ばれるなど、いつ以来だろうか。いつも高圧的な「お前」呼ばわりだったからとても驚いた。タクシーで来たと答えると、家まで送ってくれるという……。
通夜、葬儀と続くなかで、兄夫婦は常に優しかった。そして葬儀翌日の夕方、兄は突然私のもとに現れると、笑顔で一枚の紙を見せた。
「さち子さん、相続はこれでいいよね」
相続案はもうすでにできあがっていたのだ。兄は早口で説明する。私が数字に弱いこと金融商品に疎いことも、兄はよく承知している。突然のことでなんと答えればいいのかわからない。
ただ、首を縦に振らなければならない状況に陥ったということだけは理解した。そう、私ははめられたのだ。用意周到に。「じゃあ決まったね」と、兄はうれしそうにそそくさと帰っていった。実家は兄のものになり、ほか金銭や株券は兄が圧倒的に有利な配分になっていた。私は実家を出て、一人マンション暮らしとなった。
その後、兄の味方と思われるC税理士のもとで、相続の協議を重ねたが、その実質はと言えば、あのわずか数分で決まっていたのである。相続さえ終われば、もう利用価値のない私などお払い箱であった。兄が家を新築して引っ越したことも知らされず。以来、兄とは会っていない。
専門家を交えて訴えても、むなしい状況に
それから7年ほどたったある日、兄に長い手紙を書いた。この間に両親の回忌法要があったはずだが呼ばれてもいなかった──もっとも、催してもいないようであるが。もっと早く手紙を出すべきだったのかもしれないができなかったのは、あの世にいる母を思うとこれ以上、悲しませたくなかったし、恨みつらみを一つ一つ思い返すことが苦しくてたまらなかったからだ。
でも、私も還暦を過ぎ、残りの人生を見据えた時、常に胸の内に墨汁を流し込んだように存在している兄への悔しい気持ちを、はっきりと伝え謝罪してもらうのは当然だと考えるに至った。