残りの人生は「能子さんとともに」

デビット うん、だから長年住んでいた横浜からの移住を決断した。うちは夫婦二人なので、従業員を守る次に僕がすべきは、能子さんを守ることだった。実はその前から、いつか地方に移住して、二人で何かしたいという考えが、僕にはあったのね。

それまではラーメン店の経営と味づくり、そして芸能人を同時にやってきて、能子さんにずっと支えてもらってきた。でも「いっしょに」ではなかった。だから、残りの人生は「能子さんとともに」がキーワードだと思ったんだ。

どんなふうに生きていけば、肩を並べてともに幸せを感じられるのか。能子さんのつらそうな姿を見て、行動に移すならこのタイミングだな、と。

能子 それで、美味しい干物を買いに、真鶴をふらーっと訪れることが増えたんだよね。

デビット テレビ神奈川の街歩き番組を長年やらせていただくなかで、移住するなら神奈川県西部がいいな、というイメージは持っていた。候補に入れていた町はほかにもたくさんあって、真鶴はそのうちの一つだったけど、足を運ぶたびにこの土地を好きになっていったし、町の人たちがみんないい人で助けられたよ。当時はコロナのニュースを見るのも嫌になっていたから。

能子 海が近くて心がふわっと軽くなり、深呼吸ができる感じ。どこか私の生まれ育った焼津の雰囲気を感じさせるところもあって。

デビット 町にある内袋観音様の清掃に参加したりするうちに、ここで生活したい、この町のために何かできないかな、と自然に思うようになったよね。

能子 そうそう。過疎化が進む真鶴を元気にしたいとか、未来の子どもたちのためにとか、自分以外に気持ちを向けたら、塞いでいた心がすうっと軽くなるのを感じて。ここに来ると、横浜の自宅に帰りたくなくなっちゃう。世の中の状況は変わっていなかったし、悩みがなくなったわけじゃないのに、いろんなことがあまり気にならなくなっていました。

デビット伊東×能子「真鶴に移住し、夫婦二人で再びラーメン店を。借金は背負ったけれど、今のほうが幸せ」〈後編〉につづく