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父親像が壊れていく

父は「誰の世話にもなっていない」と言うが、現実とのずれは大きい。「誰か」がやっていたおかげで、父は洗濯、雑巾がけ、トイレ掃除を一度もしたことがない。たぶんこれからもする気はないはずだ。私にも仕事がある。いつも快く父の世話に時間をかけられるわけではない。何度も家事代行サービスを頼もうとしたが、父は頑なに拒否する。

パパと呼ばれるのが好きで、モダンを自認していた父なのに、所詮昭和一桁生まれの男性だ。家事をやるのは女性だと思っている上に、家の中に他人が入ることを快く思わない。家庭の内情を他人に知られたくないという意識が非常に強い。家族のことは家族でやり繰りするべきだと考えているのだろう。

「汚くても俺は気にならないから、掃除はしなくていい。気になるならお前がやれ。たった一人しかいない親の面倒を見るのは当たり前だ」

そう言われて私は、ハタと気付いた。掃除をする娘を見て、父は自分が「汚い」ものとして扱われていると感じていたのだ。健康で自立して生きているのに、娘は文句を言う。プライドを傷つけられて不愉快になっていく父と、それをあらためさせようとする私の間に軋轢が生まれ、日に日に険悪な雰囲気になってきた。

90歳を過ぎて杖もつかないで歩けているのは、確かにジム通いをした成果かもしれない。しかし、ジムに行っていたことを褒めてあげられないのには、理由があった。そのジムは、父の家からは車で行くしかない地域にある。

健康維持のためのジム通いだからと、高齢の父が運転するのを容認している私は、傍から見たらとんでもない娘だろう。私はもちろん家族の責任として、事故を起こす前にやめさせるべきだと考えている。けれども父は、何度免許の返納を頼んでも同意してくれなかった。