コロナ禍による環境変化が父に与えた影響
米寿を過ぎた頃から徐々に、父は認知症の兆候が表れているように見えた。杞憂に過ぎないことを確かめたくて、ある日、蕎麦屋で夕食を食べながら私は聞いた。
「パパ、今日の株価はどうだった?」
父が、日経平均をスラスラ答えてくれたので、ちょっとほっとする。今日は頭の回転がいいようだから、日頃家事をしてあげている私にお小遣いをくれるかもしれない。期待を持って聞いた。
「ねえ、パパ、私にスーツを買ってくれない?」
すると、隣のテーブルでお蕎麦をすすっている人が、ぎょっとした顔で私たち親子を見る。
パパと呼ばれるパトロンらしきる老人から、お金を巻き上げようとしている、高齢の愛人とでも思っているに違いない。
「うん、いいよ」と答えてくれると思いきや、父から予想外の言葉が出る。
「お前は旦那がいないから、プレゼントをもらえないんだろう? かわいそうだから、買ってやってもいいよ」
ムッとしたが、会話が噛み合っていることに安心できた。こうして、何気なく父の状態をチェックして楽しんだり、あるいは不安になったりしながら数年を過ごしていた。