セリーヌの人生の中核になる恋
脚本は、セリーヌの才能を見出し、アーティストとして尊敬し、生涯彼女をサポートした夫でプロデューサーのルネとの恋愛を掘り下げて描きました。なぜなら、ルネとの関係こそがセリーヌの人生の中核になる部分だと感じたからです。
親子ほど年の離れた2人の恋愛を世間は批判したけれど、2人は愛を貫き、最終的にはみんなから祝福されて結婚します。子どもにはなかなか恵まれず、つらい不妊治療の末に出産。セリーヌは子育てをしながら、その後は病にかかった夫の看病をしながら、ワールドツアーを行い、いつも最高のステージを目指して精一杯歌い続けたのです。
私自身も長期ツアーに出ることが多く、パートナーや恋人との別れを繰り返してきました。体が離れれば心も離れてしまうことを、身をもって体験してきたわけです。そういう時、恋の苦しみから逃れるためにドラッグに走ってしまう女性もたくさん見てきました。
ところがセリーヌはいつも安定していて、地に足がついていた。これは、彼女が大家族の末っ子で、子どもの頃から愛情をたくさん受けて育ったことも影響していると思いますが、何よりも夫の愛に包まれているという安心感があったからだと確信しています。
セリーヌは茶目っ気があり、ざっくばらんでユーモアのセンスのある人だと聞いています。ルネとの暮らしのなかでも、何かにつけて夫を笑わそうとしたらしい。長年連れ添った夫婦が、おどけたり冗談を言ったりして、お互いを楽しませようとする――それこそが本当の愛ではないか、そんなふうに思いながら、信頼感で結ばれた2人の関係を丁寧に描いています。
また、この映画では、カナダのケベック州出身であるセリーヌを描くにあたって、ケベックアクセントのフランス語を大切にしました。ケベックの言葉は、同じフランス語でありながら、字幕をつけないとフランス人でも聞き取れないくらい独特でエキゾチックな響きを持っています。
セリーヌはそんな言葉を使いながら、ケベック文化のなかで育ちました。そうであるなら、この映画にもその雰囲気をとどめたい。それはアクセントの問題と言うよりも精神性の問題と言ったほうがいいかもしれません。
そこで、私はキャストのほとんどをケベック出身の俳優にお願いしたのです。ケベックアクセントを大切にしつつ、字幕なしでフランス人がわかるようなフランス語でしゃべってね、と難しい注文をしました。
実際、ケベックの俳優さんたちの才能は素晴らしかった。見事に要望に応えてくれて、作品はケベックの言葉の温かい響きが飛び交うものになりました。フランスとケベックの、遠くでありながら近い関係性というものに私自身が気づけたように思います。