運転ができてクルマがあること

やはりアナウンサーにならなければラジオのDJにはなれないんだ…と思った私は、3年生の終わり頃からアナウンスの専門学校に入ります。そこで目の当たりにした“現実”や“挫折”はまた書かせていただくことにして、話をキャスタードライバーに戻します。

タカギさんが大学4年の後期から就いていたように、この仕事は“不定期採用”でした。
私も最初に受けたのは大学4年生の夏休みでした。が、そのときは、最終で落ちてしまいました。

キャスタードライバーの受験資格には、まず「運転経験2年以上」。早朝番組を担当するためには、まだ電車が走っていない午前4時台に局入りしなければならないので、「都内在住」で「自分で自由になるクルマを所有していること」というのがありました。つまり、家のクルマでもいいのだけれど「この日は、お父さんが使うので私は使えません」というのではダメだということ。1970年代で、この条件を満たす学生というのは、そう多くはなかったと思われます。

高校3年生で運転免許を取得してから、ゴルフサークルのお陰で毎日運転していた私は運転歴に加え、“家のクルマ”があったので、条件はクリア。しかし、最終の運転試験のため集まった40名ほどのメンバーの華やかさに、(私は絶対に受からない)と思ったものです。

事実、私は落ちました。が、熱意だけは通じていたのか、試験の御世話をしていたデスクの女性が「また半年後くらいに採用があるかもしれないわよ」と教えてくれたのです。
タカギさんから、そのデスクの女性の名前を教えてもらい、何度も問い合わせの電話をして「まだですか?」と聞き続けた結果、本当に半年後に採用試験が。“経験者”の私は面接でも運転テストでも立ち振る舞いが優位に働き、無事、合格することができたのです。