4月というキリのいい採用だったことは、学校の友人の間では「ヤマ(私の愛称)はTBSに就職した」となりましたが、実際は、TBSラジオの子会社の社員で“タレント契約”と言葉はいいものの“時給〇〇〇円”という世界でした。

それでも、子どもの頃から憧れていた世界。当時の番組表は、早朝から夕方まで、榎本勝起さん、土居まさるさん、近石真介さん、大沢悠里さん、若山弦蔵さん……という、局アナや人気声優、名ナレーターとして名をはせるラジオ界の大スターの皆さんが冠番組をもっていらっしゃいました。さらに、週末は久米宏さん、夜は林美雄さんや小島一慶さん……と私にとっては夢のようなラインナップ。

キャスタードライバーは全番組に中継コーナーがあり、こうした皆さんとは、さまざまに関わらせていただき、多くのことを教えていただいたものです。

近石真介入さんのワイドには、毒蝮三太夫さんが毎日、中継に出る『東食ミュージックプレゼント』(「東食」は当時のスポンサー名)という約30分のコーナーがありました。

山田さん所蔵、ラジオかーのミニカーパッケージの毒蝮三太夫さん(写真提供◎山田さん)

火曜日と金曜日は、「東食」さんと関係が深い大型スーパーに行くため、大きな中継車が出ましたが、月曜日、水曜日、木曜日は、キャスタードライバーが運転をする普通自動車の後ろに蝮さんをお載せして、町工場や個人商店で中継をしていたのです。
往復の運転のみならず、中継のお手伝いや、番組終了後、大量に積まれたサイン色紙を前に、蝮さんがサインに添える“まむし”のイラストに赤いマジックで舌を書き足したり、蝮さんの名前が彫られた角印を押したりするのもキャスタードライバーの仕事でした。

毒蝮三太夫さん(以下、蝮さん)といえば、私の世代では、「石井伊吉」名義で『ウルトラマン』(TBS)のアラシ隊員であり、立川談志さんが司会をしていらした頃の『笑点』(日本テレビ系)の“座布団運び”。前述の“ラジオスター”とは異なり、“テレビスター”です。