写真提供◎山田さん 以下すべて

 

放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。意外にも、小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第3回は、「毒蝮三太夫さんのこと」です

「天才小学生、現る!」

1980年3月に大学を卒業し、4月からTBS954キャスタードライバー(中継ができるラジオカーに乗車し、TBSラジオ内の番組にリポートを入れるキャスター)に“就職”した経歴にはなっていますが、実はそれは“たまたま”でした。

小学4年生から、土居まさるさんのラジオ番組『セイ!ヤング』の“ハガキ職人”となり、ラジオのDJになることを夢見ながら、ニッポン放送の『DJグランプリ』というオーディション番組に出演したのも確か小学6年生の頃。

そんな子どもは他にはなかなか居ませんでしたから、幼い私の拙いチャレンジはその都度、珍しがられ、面白がられたものです。

フリートークや早口言葉、クイズなどに挑戦し、「初級」「中級」…とクラスを上げていく『DJグランプリ』では「天才小学生、現る!」というようなことにもなりました。

ですが、その想いは中学で卒業を迎えます。同級生がやっとラジオの深夜放送に目覚めた頃、メインのパーソナリティーはタレントや歌手が増え、マーケットとして、さらに大きくなっていたのです。が、そうなると気持ちが覚めてしまう私の性格は当時も今も同じ。

「歌手がDJをやっているラジオはちょっと違う」などとクソ生意気なことを言い放ち、私はやがてラジオから離れていったのでした。