大きなフォントの記憶

30代半ばの私の長男に、電話で悩みを打ち明けた。

「おじいちゃんが、毎日同じことばかり言うから疲れるんだよね」

長男は、妙に冷静な声で言う。

「あ、そうなんだ、って言えばいいんじゃないの? 母さんがどう返事しようと、おじいちゃんは同じことを言い続ける。対応に悩むのは意味ないと思うよ」

繰り返し言うのには理由があると、長男は感じているのだそうだ。

「文章を書く時の字のフォント、あれの級数が大きいことだけが、おじいちゃんの頭の中に残っているんだ。新聞で言えば、大見出し。おじいちゃんの人生のトピックなのさ。毎日、ふと、頭に浮かぶ大見出しを口に出す。それの何が問題?」

私の子どもたちはおじいちゃんが好きだから、できるだけ理解しようと努めている。愛を感じる分析だ。そして、一言私に付け加えることを忘れない。

「かあさんのどうでもいい小言は、小さなフォントだから、おじいちゃんの頭には残らない。文句言うだけ無駄だから、黙って聞いてやれよ」