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毎年8月に、第二次世界大戦終結の特別番組が、テレビで放映される。空爆や原爆の恐怖、物資の不足等、戦争の悲惨さを伝える内容だ。私も父と一緒に資料映像を見ている。父は終戦の年に、北海道十勝地方帯広市の専門学校に入学し、勤労奉仕をしていたという。

テレビから、天皇陛下が戦争終結を告げた玉音放送が流れてくると、ソファに座っていた父の背中がスッと伸びたように見えた。そして父は言った。

「あの日は、暑い日だった」

私は「そうだったんだね」と毎年答えるが、本当は違う可能性が高い。実は、小説執筆の時代考証で、1945年(昭和20年)の帯広の気象記録を調べたことがある。8月15日、北海道全体がぐずついた天気で、曇ったり雨が降ったりしていた。帯広の最高気温は19.2℃で、割りと涼しい日だったようだ。

「記憶」は必ずしも「事実」とは限らない。日本中のどこで終戦の日を迎えた人も、天気を同じに答えるのは、終戦記念日の度に新聞に載る写真や、テレビの特集番組で見た映像が、脳に刷り込まれているからだと推察できる。

報道で見たものを自分の体験として、「記憶の上書き保存」をしているのだろう。父の場合、大きなフォントの記憶が、テレビによる追体験で上書き保存される現象が起きている。私はその日だけは、父の言うことに「そうだったんだね」と相槌を打ち続けた。